きっぱりと復興担当相を辞めた。
松本龍氏。
その地位での仕事を何ひとつしなかった。
一部分を切り取られると、
ひどく異常な言動のような印象を与えてしまうだろうが、
どこをどう切り取っても
やはり今回はおかしかった。
政治的なこと、
被災された方々への暴挙については、
ここでと取り上げない。
もう世間で十分言われている。
真意が伝わらない、というのは
よく聞く言葉だが、
これだけありとあらゆる言葉から
この人の本音なり人間性なりが溢れている中で、
真意も何もないだろうと思う。
となれば、この人、
金持ちのぼんぼんという高みにあって、
人の気持ちというものが
全く理解できていないということになる。
会見の言葉の中にも、
気障な、自己陶酔の情景はいくらでも出てくるが、
人の痛みを思いやるような言葉は
ついぞ聞かれなかった。
要するに、何も分かっていないのだと思う。
「一番お世話になったのは妻と子どもたちであり、
改めて感謝申し上げたい」
言うべき場を間違えていないか。
そんなことは、自宅で言えばよろしい。
「一番申し訳ないと思うのは被災者の皆さんのことです」
とくらいは言えなかったのか。
「私も少しは役に立ったのかなと、あの時思って、涙が出たところ」
全く役に立っていないという日本全体からの非難の中で、
あくまでもナルシストを気取っている。
本人以外は、情けなくて悔しくて涙が出ている。
あなたはその場で、涙を出す立場などではない。
「いい経験をさせていただいた」
とことん、自分のためによかったという感想である。
自分が可愛いという思いのほか、何も見えてこない。
国の税金を使い、命がけの被災者と支援者の喘ぐ中で、
いかに乗り気ではなかったとはいえ、
引き受けた上で役立たずに終わり
復興の時期を遅らせ失望と怒りをまき散らした当人が、
自分にとってよかった、などという台詞を吐いたのだ。
口が裂けても言うべき言葉ではない。
「九州男児はそんなことは言わない」
つくづく自分に甘い。
甘えている。
自分の欠点を
九州人のせいにしたり、
血液型のせいにしたり、
もうそこから人権意識の欠落を暴露することになったのだが、
さらにまた余計なことを言い残した。
「被災者に寄り添っているつもりでした」
「被災者の皆さんから離れません」
三日天下であったが、
この人物の言動に対しては、
政治家としてでなく、人間として
こうありたくないというものに満ちているものを覚える。
カンニング竹山が立て続けに吠えていたというが、
同じ福岡の人間として、
ここは竹山氏に気持ちを重ねる部分を私は持つ。
寄り添わずに、離れていてほしいと強く願う。
蛇足だが、会見後半の質疑応答の中で、
「(マスコミに対して)すみませんが、
冒頭に被災者の皆さんに対するおわびを入れておいてください」
おわびは自分でするものだ。
人にさせるものではない。
「おわびを(ちゃんと最初に言ったことにして)書いておいてね」など、
もうあらゆる人をばかにしている。
この人の悪い意味での「甘え」は
どこをどう切り取っても、隠せない。
ついでに、
次はわが身かと暴言による辞任に怯える大阪府知事は、
これからちゃんと仕事をすれば辞める必要はない、と
まるで自分のためのように弁明している。
「一つの発言だけを取り上げて」と
恰もそれが正論であるかのようにコメントしているが、
残念ながら「一つ」ではない。
人間、自分のやりたいことは「みんな」やっている、と言い、
自分にやましいことがあるときは「少し」「一つ」と言うものだ。