使っていた住居洗剤が
なかなかよかった。
少しずつしか使わないから、
やっと底を突いてきて、
またそれを買おうと店で探してみた。
 
ところが、見当たらない。
二、三店寄ってみたが、ひとつもない。
「もう売っていないのかもね」と妻。
 
こういうときにも、
インターネットというのは頼りになる。
調べてみると、
そのメーカーの現販売製品のリストになかった。
 
そんなに昔に買ったわけではなかったはずだった。
「売れなかったからもうないのかしら。
 よい製品だったのに」
さらに調べてみると、
製造中止リストにちゃんとあった。
 
そもそも販売開始が2007年秋。
そして販売中が2009年秋。
わずか二年の販売であった。
では、人気がなかったのだろうか。
いや、その会社の業績書類が公開されていたので見ると、
当初その製品のために
住居洗剤の部門の売上げが非常に伸びたと記されている。
 
だが、その後の資料がない。
 
人は、えてして目新しい製品に手が出る。
つまりは消費者の行動にも問題がある。
だが、製造メーカー側も、
もうちょっと、細々とであってもいいから、
たいそう気に入った人のために
作り続けてほしいと願うものだ。
 
これが、電機製品になると、
一応製造中止以後何年かは
部品を置いておかなければならない
という決まりになっているとはいえ、
実際十年くらいは使う製品はいくらでもある。
ところが、まだ安全に使えるにも拘わらず、
わずかな故障で買い換えを迫られることがよくある。
 
売れ筋を大量にさばく。
これが利益の出し方だというのが教科書にあるのだろう。
だがそういうものなのだろうか。
 
そうやって、地域から書店が消えた。
それは、ネットでの書籍販売に人を押しやり、
そのため書店自身、自分の首を絞めるようになっている。
いや、ますます読書離れを呼んだとも言える。
ついに全品電子書籍も同時に出すという会社たちが現れたが、
そのうち
活字自体、見向きもされなくなる虞はないだろうか。
 
電車の中では本でなく、
ケータイでメールかゲームに興じる者ばかりだ。
そして活字から遠ざかるとき、
人は自分の頭で思考することから離れていき、
いろいろ社会的にも問題が起こってくる。
 
利潤の原理は、
最も相応しい結論へと人々を運ぶ。
自由主義経済はこの仮説を理念として掲げた。
だが、
経済が「カネ」でしかなくなった以上、
それは危険な仮説に過ぎないのではないかと危惧する。
経済は、もともと「カネ」ではなかったのだから。