「みんながやっているから」
「日本が一つになっているんだ」
 
こうした理由で
節電をしているとすれば、
私はどこか悲しく感じるし、また
危険な香りさえ覚える。
 
とことん農耕民族なのかどうか知らないが、
「みんなが」というのは
恰も聖書世界で「すべての」が大暴落的に用いられるように、
私たちの世界でも都合の良いように使われる言葉だ。
 
ほんの数人がしているだけでも
「みんながしている」と言い訳にする。
人をまるめこむためにまさに
「みんなそうじゃないか」と誘い込む。
 
遭難する船から飛び降りさせるためのジョークがあるが、
「ヒーローになれますよ」と言えばアメリカ人が飛び込み、
「規則ですから」と言えばドイツ人が飛び込む。
イタリア人やフランス人については今言わないが、
日本人なら当然すぐに分かるだろう。
「みんな飛び込んでますよ」
 
しかし、だ。
節電となると、
自分だけは無視しますよ、とはやはり言えない。
そこで、誠実な人が無理をして冷房を止め、
倒れることがある。
実にお気の毒だ。
お年寄りや小さな子どもなどには
知恵と「あたたかな」心を差し出そう。
 
他方、必要以上に部屋を冷やせ、とすごむ中学生が塾にいる。
これ見よがしに下敷きで音を立ててオーバーに仰ぐ。
もちろん、彼らにとり我慢できないような環境においているわけがない。
冷房の設定温度を上げているだけだ。
しかも、私は温度計を持参している。
だが、そんなことも笑い物にしたいらしい。
 
人間として大事なことを教えてもらえずに
育った彼らについて、
責任は誰にあるんだろう。
間違いなく、大人たちだ。
しかし、やがて彼らはその責任を
自分で背負っていかなければならなくなる。
 
(続く)