天皇夫妻の被災地訪問が続いている。
高齢にも拘わらず
励ましの役割を背負い続けている。
そのたびに、被害の瓦礫の姿に頭を垂れる姿も
印象的である。
 
天皇という立場は、特殊である。
通常の「人権」がまるでない。
国の「象徴」であることは
小学生でも知っているが、
その特殊性については
考えれば考えるほど不可解であり、
想像すればするほど困難なものを覚える。
 
しかしともかく、
天皇は日本の象徴である。
このたびの大震災においては、
日本国が傷つき、壊滅した部位を有した。
ならば、
天皇も傷つき、ある部分で壊滅したのだ。
 
キリストは、
すべての人の罪を背負い、十字架についた。
比較の規模は違いすぎるが、
キリストが私たちの罪の代わりにむち打たれ
釘刺されたとするのが私たちの捉え方である。
 
その類比からすると、
天皇自身、傷つき、苦しんだと理解すべきである。
笑顔で手を振り、声をかけるのが仕事ではない。
励ますのが仕事ではない。
神的存在のように映し出す報道はいただけない。
日本が災害に屈し、潰されたというのであれば、
天皇自身、そうなのだ。
 
キリスト教にも深い理解のある、
今の天皇一家である。
立場上、そんなことは表に出せないが、
痛みを背負って歩むような姿を、
私たちは自分の生き方と重ねる必要があると言えるだろう。