ラジオで、
若い世代のいわば素人が語るのを聞いた。
意見を言うのだ。
自分の考えを言うとき、
どうにも耳障りなフレーズが氾濫していた。
 
「~じゃないですかぁ?」
 
意見を強く言うのが恥ずかしかったり、
あるいはまた、
相手の同意を得ながら話したかったりする、
その気持ちは分かる。
だが、
「~ですよね?」などと
相手の反応をうかがう表現は他にいくらでもある。
それを、
どの若者も、判で押したように、
「~じゃないですかぁ?」と言うのだ。
 
こうなると、相手の同意を尋ねてさえもいない。
相手やその場にいる人をすべて
強制的に同意させる言い方であるように聞こえてならない。
すぐさま否定でもしないかぎり、
私の言うことは立派に通ったことになるのだ、というふうにしたいのか。
 
ところが、ところが、である。
素人さんだけかと思ったら、
若いタレントのトーク番組を偶々耳にすると、
ある、ある。氾濫している。
「~じゃないですかぁ?」の連続である。
 
たまたまその人物だけかと思ったら、
他の機会でも認めざるをえなかった。
トーク番組の大勢が、この
「~じゃないですかぁ?」に溢れているのだ。
 
私は意地が悪い。
「~じゃないですかぁ?」と言われたら、
「そうじゃないこともありますよ」と突っ込みたくなる。
 
自分がそう思うのならそう思うと言えばいい。
なにもその場にいる人全員を自分の考えに染め上げなくてもいいではないか。
 
議論や討論というのが、
自分が相手を打ち負かすことだと勘違いしている空気のせいなのか。
それは、先日触れた、
アニメ番組における
相手をたたきのめす手法に関係している。
 
それぞれが正しさと誤りとをもっている。
それをぶつけあい磨き合って成長していく。
こうした過程が嫌でたまらない空気。
だからまた、空気は読めよと言いたいし、
空気の読めない奴は最初からその場に加わることを許さない。
「~じゃないですかぁ?」に同調しながら
それぞれがただそれぞれに発言して、
言いたいことを言って満足して、帰っていく。
 
せいぜいそして、
陰で相手を精一杯非難して、
不満な者たちどうしで愚痴っていたいというところか。
新聞の論調も、
そういうふうに捉えられるところがある。
それはすべての新聞がそうだというのでなく、
一部の新聞に限ったほうが適切であるかもしれないけれども。