何が自分にできるか。
悪い問いではない。
だが、何かしなければならない、が進みすぎて、
何かできたことで満足する、に落ち着くことは好ましくない。
 
被災地には、
支援物資が滞っているところもある。
配分がスムーズにいくとは限らない。
ことに、送ったものの中身が明記されていない荷物は、
かの地においての処理が非常に面倒となる。
 
自分が何かをした、
そこに目的が移ってしまう危険性は
つねに知っておかなければならない。
 
これは、揶揄しているのではない。
 
海外の、
「われわれの心は日本の被災者と共にいる」
という麗しい言葉があると同時に、
日本からのものには放射能があるから買わない、
という態度に、矛盾を感じた人はいないだろうか。
 
人の好意や行動には、限度があるということだ。
善意のつもりで自分にできることを……という思いもまた、
受ける人から全部助けとして目に映るとは限らないのだ。
感謝もされよう。
だが、迷惑であったり、
送るこちらの自己満足に過ぎないと見られたりすることも、
大いにあるのだと、
助けようとする側は、基本的に考えていないのだ。
 
私が言いたいのは、
人がすることに、完全ということはない、ということだ。
自分にできること、それを考えるのはよいことだとは思う。
だが、自分にできないことも覚えておきたいし、それから、
自分が何かやったぞと自負する態度はもつべきでない、と考えるのだ。
 
教師が、習う生徒の側の心情に無関心で、
自分が自分の授業に陶酔する様子は、殆どマンガであろう。
同様に、
援助したことで自分が安心したいための行動であるとき、
それは援助でも何でもなく、ただの自己愛に過ぎない場合がある。
ここまで、自覚していたいと思うのだ。