被災地での行政の決定が遅れて
避難生活を強いられている人が困っている、
そういうレポートに、
ワイドショーのコメンテーターが思わず、
その遅れを批判する言い方をした。
 
それに対してすかさず、
別の女優コメンテーターが説明した。
「行政の人々も被災者なんです」
 
その通りだ。
自分の悲しみや絶望的な状況にうち沈む自由もなく、
公僕として日夜他の被災者のために働いている人たちだ。
しかも、その公務員も少なからぬ人が犠牲になり、
人員が不足している。
被災者の気持ちが分かるがゆえにまた、
軽々しい決定はできないと理解していることだろう。
 
この女優は、
日頃から、いろいろな困難な方々のために活動をしている。
この地震についても、
もっているFM番組の中で
繰り返し支援を呼びかけており、また
自分も実践している。
行政だろうが、産業だろうが、
すべてが被災という枠の中でなされている営みであるという
当たり前のことが、よく分かっていたのである。
 
東京電力の社員にも当然、
被災者が少なからずいる。
東京の経営者自身に痛みがなかったとしても、
現場で汚れ役を負う社員は
公私ともに傷ついている点を、覚えておきたい。
 
ともすれば、
行政というのはけしからんところで、
さしあたり行政の悪口を言っておけば
正義であるかのように、しばしば私たちは考えている。
このたびの政権に対しても、不満が増えている。
しかし、マイナスだけを数えれば、きりがない。
首相に求心力がないのではなく、
とりあえず権力者を批判すれば正義じみていられると勝手に思っている、
私たちの故ではないのだろうか。
一考の余地はあると思う。
 
「手をつなごう」
「ひとつになろう」
口ではそう言いつつ、
政治を批判して自分は正しいとばかり言う。
中には、自分の選挙のことしか頭にない議員もいる。
 
とくに、
この福島原発の事態を長年にわたりつくりあげてきた
(つまりはこの事故をひきおこしたに等しいとさえ言える)
今は野党となった政党が、
さも現政権の責任がすべてだとばかりに
責め立てている姿を見ると、
人間の醜さの極致を見るような思いがする。
 
批判する人はすべて、
この中で首相になってみたらいい。
端から文句を言う以上のことができるかどうか、
お手並みを拝見したいところだ。
協力をする気もなく、
自分にできないことを相手に要求し、
相手の欠点だけをあげつらうばかりの政治家や評論家やマスコミが、
自分を正義のように見せかける姿には、うんざりする。
 
群衆は、勝手な思いこみで
救世主だとして彼を迎えた。
しかし、自分たちの無知からくる自己中心的な期待を
彼が叶えないと分かると、
すぐさま牙を剥き、彼を十字架につけよ、と叫び続けた。
それを、指導者たちが煽動していた。
 
この史実に、ユダヤ人を悪者に扱うとしたら、大間違いだ。
それは、まさに私たち自身の姿なのではないか。
もちろん、その先頭に私がいると私は考えている。