被災者への支援の募金が
各地で行われている。
「各地」というのは、
日本国内にとどまらない。
ケニアでも、震災のニュースを知って、
子どもたちが募金を始めた、というレポートがあった。
朝ご飯を食べないで、その分のお金を学校に持ってきた、など。
金銭はないが、と言って保護者が
バナナをいっぱい学校に持ってきた、とも。
教師たちでそれを買い取って、現金化したらしい。
こうして、5千円ほどの現金が集まったという。
なんだ、そのくらいか、などと断じて言ってはならない。
ここは、スラム街なのである。
タイでも、同様に
スラム街ですぐに募金が始まった、と報じられていた。
人の「こころ」は死んではいない。
この「こころ」があれば、きっと人は生きていける。
数字の上での何円、ということによるのではない。
人は、パンだけで生きるのではないからである。
この子どもたちの「こころ」を知ってか知らずか、
当事国では、震災における状況を
政争の手段にしているような空気がある。
ついに、首相の人間性までも小馬鹿にし始めた人がいたが、
その人の父親の人間性がどうであるのかというほうを、
先に気にするべきではないだろうか。
あの5千円を、
受け取る側としては、
精一杯の価値あるものとして使う責任がある。
政治がこれを怠ったとき、
その汚染度は、もう救いようがないものとなるだろう。
各地で行われている。
「各地」というのは、
日本国内にとどまらない。
ケニアでも、震災のニュースを知って、
子どもたちが募金を始めた、というレポートがあった。
朝ご飯を食べないで、その分のお金を学校に持ってきた、など。
金銭はないが、と言って保護者が
バナナをいっぱい学校に持ってきた、とも。
教師たちでそれを買い取って、現金化したらしい。
こうして、5千円ほどの現金が集まったという。
なんだ、そのくらいか、などと断じて言ってはならない。
ここは、スラム街なのである。
タイでも、同様に
スラム街ですぐに募金が始まった、と報じられていた。
人の「こころ」は死んではいない。
この「こころ」があれば、きっと人は生きていける。
数字の上での何円、ということによるのではない。
人は、パンだけで生きるのではないからである。
この子どもたちの「こころ」を知ってか知らずか、
当事国では、震災における状況を
政争の手段にしているような空気がある。
ついに、首相の人間性までも小馬鹿にし始めた人がいたが、
その人の父親の人間性がどうであるのかというほうを、
先に気にするべきではないだろうか。
あの5千円を、
受け取る側としては、
精一杯の価値あるものとして使う責任がある。
政治がこれを怠ったとき、
その汚染度は、もう救いようがないものとなるだろう。