六年前、福岡西方沖地震に見舞われた福岡は、
かなり動揺していた。
玄界島の被害が特に大きかったが、
市内でも随所に被害が出ていた。
余震もあった。
同じ3月に、最初のが起こった。
 
とにかく地震の備えのできていない都市であった。
阪神淡路大震災から10年を経ていたにも拘わらず、
地震保険加入も福岡では多いとは言えなかった。
京都から福岡に戻った私たちは、もちろん加入していた。
福岡には大きな地震はないからね、とは考えなかった。
その結果、保険金が、
殆ど必要な生活費として戴けることになった。
 
観音開きの食器棚はダメだと知っていたので、
引っ越したときにも選ばなかった。
よそでは、食器が全部飛び出したところもあった。
家具も、天上から突っ張っていた。
 
自慢しているのではない。
これが今は、できていないのだ。
テレビも薄型に換えざるをえなかったが、
これには何の地震対策がなされていない。
このパソコンにしてもそうだ。
千円程度で粘着装備があるから、
買えばよいのに、まだだ。
 
三陸地方では、
百年単位の中で、
大きな地震と津波に苛まれてきた歴史があるせいか、
言い伝えを含めて、知識と構え方とがあった。
河北新報も、定期的に備えを特集して伝えていた。
 
それでも、これだけの被害が出た。
あるいは、もしかすると、
これだけの被害というのが、これでも少なかったのかもしれない。
それほどに、今回のパワーは強かった。
まさに「未曾有」であるのだが、
百年も生きない人間にとっては、
百年単位に起こる地震はすべて未曾有だと言える。
伝えていかなければならない。
 
六年前、博多どんたくは開かれた。
「元気バイ!! ふくおか」
これが合い言葉だった。
それでも、「強がらんで、助けてもらったらいいとよ」と
アドバイスする人もいた。
しかし、町中に黄色いマスコット人形が立ち、
それにメッセージをひとりひとりが書くことが許された。
私も、天神で書いた。
 
とても、いま東北の人々に、
そうなったらいい、などとは言えない。
打ちのめされ方は、比較のしようがない。
原発という問題は、解決の糸口さえつかめていない。
 
ただ、風評にしても、買い占めにしても、節電問題にしても、
口では応援するなどと言いながら、
当地の人々を苦しめることを、私たちは平気でやってしまう。
長期にわたり、助けていく思いを、
日々の小さな行為の中で続けていきたいと願う。