仕事に忙しいので、
細かな状況の把握ができていない。
勘違いがあるかもしれないが、
やはり一言呟いてみたい。
 
 石原都知事、消防隊への圧力に抗議
 原発放水「速やかにしないと処分」
 
こんな見出しを見た。
 
「やらなければ処分する、ということを上から言ってはいけない」
このように強調したそうだ。
 
状況を同じにしてはいけないが、
この人は、自分がそうしていることに
思い当たらないのだろうか、と不思議に思う。
日の丸を拝み君が代を讃美せよ、しなければ処分する、と
実際に処分していることに。
 
この人について
もう一つ見出しを見た。
 
 「言葉にできない。ありがとう」石原都知事、
 感極まり言葉詰まらせる
 放水活動の消防隊員に謝辞
 
隊員の苦労や勇気について、
私も称えないわけではない。
立派なことであり、称讃に値することは
誰でもそう感じることだ。
 
だが、いわば
その方たちは、それを職業としている。
通常の業務でないことを踏まえたにしても、
やはりそれは仕事をした、ということである。
 
被災者は違う。
家を、家族を、仕事を失い、
食べるもの、暖かさにも事欠き、
死ぬか生きるかの場に置かれ、
子どもたちもお年寄りも、
日々病に倒れ、亡くなる方もいる。
 
都知事はこの方たちに向かっては
「我欲」による「天罰」と「思わず」言ったのだ。
しかも、そのとき、訂正しないのかと質問を受けたときにも、
その必要はない、と答えた。
後で選挙にまずいと感じたのか、撤回する、と表明したときには、
自分の発言を否定するとは言わず、「言葉が足りなかった」とのみ言った。
 
この二つを比べることにより、
何を大切にしているか、一目瞭然と言えるだろう。
 
毎日新聞は、釜石の消防隊員の言葉を掲載している。

 「石原慎太郎(都知事)のばかたれが。
  何が天罰だ。おだつなよ(ふざけるなの意味)」
 「こんな時こそ、人間性や生き方が問われんだべよ」
 
不眠不休で廃墟の中に命を見いだそうともがいている
こうした消防隊員に対しても、都知事は涙どころか、
「我欲による天罰」という思いを抱いている。
 
釜石の人たちは、都知事選には関係ないだろう。
東京消防庁の人々は、都知事選に関係がある。
だから、きっと構わないのだろう。
 
しかもそれは、「我欲」でも何でもないのだ。
 
自分を認識するというのは、
何と難しいことなのだろう。