地震が起こると、
それは神の罰だ、という発想をもつ人が出てくる。
哀しいことだが、キリスト教世界にもいる。
教会員何十万という数を誇る教会の指導者さえ、
そんなことを叫ぶことがある。
 
誰が、
そんな神の心を分かったふりをするのか。
 
その指導者は、
憎い日本人のために祈り、救うのだと
長年多額の費用をかけた運動をしてきていた。
 
敵を許すことをしている自分の姿に、
酔いしれていたのだろうか。
それともやはり、
つい本音がこぼれてしまったのだろうか。
 
人が、人をさばく姿は、
たいてい、醜いものである。
こうして呆れている私も、
やはりさばいていることになるかもしれない。
ただ、
私は、やけに哀しい。
 
京都にいるとき、
その人のテレビ伝道番組を見ていた。
馴染めなかったが、
日本のために、という祈りの姿には、
感謝な思いを抱いたものだった。
 
恐いのは、
そうした信頼が、
本音の暴露で崩れてしまうということだ。
 
信頼の関係は、裏切りにより切れることがある。
だがキリストの愛は、罪人に向けられており、
神の側からそれを切ることがない。
なんという信実なのだろうか。
 
改めて、神の愛は人間の愛の比ではないと知る。