しかし、
何かをしても無駄だという思いが重なれば、
ほんとうにダメになっていくだろうが、
そのときにも、これをしていくのが自分の務めだ、と
淡々と続けていくことは、
見かけ以上の力があるのではないか。
たとえ希望があるとまでは言い切れないにしても。
明日世界が滅びようとも、
わたしはリンゴを植えるだろう。
ルターの言葉とも言われているが、
本当のところはどうだか分からない。
神への信を抱き、、
神からの信を自分自身に受けていなければ
愚かなことのようにも見える言い回しだ。
自分が今ここに置かれている意味を受け取るなら、
世界が滅びようがどうしようが、変わらないのだ。
神のことばは、変わらないのだから。
そこにあるのは、
自分本位の希望ではない。
自分がただ根拠もなく、希望することとは違う。
まして、
自分自身を信じる、などという強がりでもない。
信じ切れるような自分なんて、どこにあるのか。
神なんているかいないか分からない、というより以上に、
明らかに、存在しないものではないか。
神を見上げるならば、
その魂は、もはや上昇するしかない。
あらゆるこの世の営みが、
上る途中の出来事だと言えるのだから、
不安も恐怖も、幻影でしかなくなるであろう。
何かをしても無駄だという思いが重なれば、
ほんとうにダメになっていくだろうが、
そのときにも、これをしていくのが自分の務めだ、と
淡々と続けていくことは、
見かけ以上の力があるのではないか。
たとえ希望があるとまでは言い切れないにしても。
明日世界が滅びようとも、
わたしはリンゴを植えるだろう。
ルターの言葉とも言われているが、
本当のところはどうだか分からない。
神への信を抱き、、
神からの信を自分自身に受けていなければ
愚かなことのようにも見える言い回しだ。
自分が今ここに置かれている意味を受け取るなら、
世界が滅びようがどうしようが、変わらないのだ。
神のことばは、変わらないのだから。
そこにあるのは、
自分本位の希望ではない。
自分がただ根拠もなく、希望することとは違う。
まして、
自分自身を信じる、などという強がりでもない。
信じ切れるような自分なんて、どこにあるのか。
神なんているかいないか分からない、というより以上に、
明らかに、存在しないものではないか。
神を見上げるならば、
その魂は、もはや上昇するしかない。
あらゆるこの世の営みが、
上る途中の出来事だと言えるのだから、
不安も恐怖も、幻影でしかなくなるであろう。