たとえば、腹が痛くなる。
腹が重くなることもある。
具合が悪いなぁ、と思っていたら、
下痢症状が出てきたとか、あるいは、
何か病気であることが分かったとか、
そんなことになる。
よく、病気にならなければ、
その臓器・器官のありがたさが分からない、という。
足を怪我して初めて、すたすた歩けることのありがたさが分かり、
歯が痛くなって初めて、歯でよく噛めたから
おいしくものが食べられたありがたさが理解できる。
怖いのは、痛みを覚えない場合である。
痛くないのはいいだろう、などとは言っておれない。
痛みがあるから、そこの具合が悪いことが分かるし、
実は怪我をしていることにも気がつく。
痛みを感じなければ、それに気づかない。
そういう病気もあるそうで、実に恐いものだという。
痛みを覚えない症状は、気づくのが遅れる。
内部で、病気が進行していることがある。
何か分かったときには、手遅れ、となるかもしれない。
自分の中の悪は、気づきにくい。
できるだけ気づきたくない、という心理も
そこにオブラートをかけている。
ただ、様々な背景もあって、
いっそう現代人は、
自分の中の悪を認めようとしたくなくなってきている。
私たちは、痛みを覚えることなく、悪をなす。
悪をなしているのに、悪をなしているという自覚がない。
これは、死に至る病である。
痛みを覚える感覚を養う必要が、まずあるのだ。
痛みを感じないのは、たいへん恐いことなのだ。
腹が重くなることもある。
具合が悪いなぁ、と思っていたら、
下痢症状が出てきたとか、あるいは、
何か病気であることが分かったとか、
そんなことになる。
よく、病気にならなければ、
その臓器・器官のありがたさが分からない、という。
足を怪我して初めて、すたすた歩けることのありがたさが分かり、
歯が痛くなって初めて、歯でよく噛めたから
おいしくものが食べられたありがたさが理解できる。
怖いのは、痛みを覚えない場合である。
痛くないのはいいだろう、などとは言っておれない。
痛みがあるから、そこの具合が悪いことが分かるし、
実は怪我をしていることにも気がつく。
痛みを感じなければ、それに気づかない。
そういう病気もあるそうで、実に恐いものだという。
痛みを覚えない症状は、気づくのが遅れる。
内部で、病気が進行していることがある。
何か分かったときには、手遅れ、となるかもしれない。
自分の中の悪は、気づきにくい。
できるだけ気づきたくない、という心理も
そこにオブラートをかけている。
ただ、様々な背景もあって、
いっそう現代人は、
自分の中の悪を認めようとしたくなくなってきている。
私たちは、痛みを覚えることなく、悪をなす。
悪をなしているのに、悪をなしているという自覚がない。
これは、死に至る病である。
痛みを覚える感覚を養う必要が、まずあるのだ。
痛みを感じないのは、たいへん恐いことなのだ。