電車に、集団が乗ってくると、
ちょっと閉口することがよくある。
彼らは、仲間として乗ったつもりで、
他の乗客の気持ちを思いやることがないからだ。
大声で騒ぎ、楽しそうである。
彼らの内だけは。
 
公共という精神がないのは、
そもそも公と私、
集団と個人というような
基礎概念が欠落している「空気」に住んでいる故かもしれない。
が、疲れて帰宅している人にとり、
こうした場からは逃れることもできず、
本当に困ってしまうケースが多々あることだろう。
 
乗ってきたのは、女子高校生。
ただし、
すべての女子高校生が悪いわけでもないし、
私の目には、大人もずいぶんひどい。
家族連れも怪しいことがあるわけで、
何も特定の年代や集団を責めているつもりはない。
 
この女子高校生、
友だちに、自分が電車通学経験の長いことを話していた。
その上で、こう言った。
「電車でさ、人間観察するのが楽しいんよ」
 
いる、いる。
人間観察が趣味だ、などと言う人もいる。
電車で人間を観察するというのは、
一定の時間いやでも近くの人が目に入る以上、
大いにありうる楽しみの一つだと言える。
 
だが、その女子高校生、
そんな話を大声でまくしたてるあなた自身が、
周囲の人から、
迷惑に、またうっとうしく観察されている、という
単純な事実に、
気づいているようには見えなかった。
 
(続く)