日本人は基本的に、
自分のまわりの人々に気を遣うことをする。
しかし、人は、誰かの良心を踏みにじるようなことを、
平気でやっているものである。

私は、いつもそういう意識でいる。
私こそ、まずそういう存在なのだ、と思っている。
事実、そうだろう。
私の前に、いつでもナタンが現れそうな気がする。
それは、おまえだ、と。
 
そんな私が、願うことがある。
ヒバクシャを冒涜するお笑いに怒った人々が、
すべての冒涜に対して憤る者であってほしい。
 
クリスマスを欲望のために用い、
プレゼントを煽る競争に明け暮れるこの国の世間は、
ヒバクシャの嘲笑と何ら変わることをしていないのだ、と
気づいてもらいたい。
 
そして、そうした罪を赦すために
十字架で惨殺された、救いの神と、
出会ってほしい。
 
あなたの人生は、
泥足で人の心を踏みにじる行為で
取り返しのつかない事態に陥っているかもしれない。
「わたしが、主を十字架につけた」
このような出会いを経験したら、
イエス・キリストは、
あなたに決して×印を与えることはしないのである。