哲学を少しすると、
自分が超越したような気分になることがある。
誰も気づいていないような、
世界の真理を垣間見たと思いこむ。
あるいは、真理を発見したと喜ぶ。
 
それはどうも、若者だけではないらしい。
大人でも、そしてまた知能的に優れた人がますます、
そういうことになるのかもしれない。
 
どだい、哲学的方法を
教育の中で学ばない民族なのである。
しかし、哲学的な問題は、
誰の心の中にも潜在的にありうるし、
また年齢や経験と共に顕在化するのは当然である。
そのとき、
そうか哲学とはそういうことなのだ、と
ちょっとガイド本を見て目覚めるようなことが多いのである。
 
しかし、それは皮相的な「知識」に過ぎない。
哲学とはそういうものではない。
きわめて考えに考え抜いたものであり、
酒のつまみにちょいと蘊蓄めいて紹介するようなものではない。
宇宙にロケットを飛ばすのと同じくらいに、
人類の叡知を集めた営みの中で現れ、統合された思考なのである。
 
それは、だから高尚だ、と言いたいこととは違う。
軽い思いつきで分かったような気になるのは危険だということである。
生兵法はけがのもと、という言葉もあるではないか。
 
東大を卒業していようが、
ある大人がふと目覚めた哲学のようなものは、
訓練を重ねてきたプロから比べれば、
もっと謙虚に学び、人に勧めたらいい。