不条理な事件で傷ついた人がいる。
実際の傷もあるが、
心の疵は簡単には癒せない。
しかも、報道されたものはほんの氷山の一角。
無数の事件が巷に溢れている。
 
しばしば、その身勝手な行為者(犯人・容疑者)が
ネットなどで猛烈に非難される。
犯罪行為をなしてしまった人を批判するのは簡単だ。
迷惑なことをしでかしたことは、確かにその通りだ。
だが、
私はそこに自分の姿を見る。
自分もやりかねないものだと思う心でいつも見ている。
決して、
自分はそれとは無関係だなどとは思っていない。
 
だから、被害者に対しても、
なんだかすまない気持ちでいっぱいになる。
 
駅のホームの隅であれ、歩きながらであれ、
外でタバコを吸っている人々が、
とてつもなく他人に危害を与えているなどとは
ちっとも思っていないように、
私もまた、誰かを傷つけていることについて、
ちっとも自覚がないままに日々生きているのだ。
 
2011年という新しい時を刻む日々が始まった。
新しい日記帳に書き始めることになる。
何がそこに記されていくのか、
手帳は楽しみに待っているだろうか。
できるなら、
そこに、ほっこりとした気持ちになるものを
書き連ねていきたいものだ。
 
そのためには、
本当は、天を見上げてばかりいるとよいのかもしれない。
そんなふうになりがちな無責任な私のために、聖書は、
「地に平和」と呼びかけているのだろうか。
清さとは逃避ではないのだ、と告げているのだろうか。
 
頭上に射している光は確かなことであるのだから、
決められた時までは地上を旅せよというこの指令を、
私はどのようにして受け止めてこの時を過ごすのか。
今年は、「聴く」ことをもっと重視すべきだと考えさせられている。