人は、目新しいものを好む。
いつもと同じじゃ面白くない。
何か変わったことはないだろうか。
 
若い人がよく、出会うと呟くこと。
「なんか、おもしろいこと、ない?」
 
毎日が、マンネリ。
同じことしか、ない。
刺激が、ほしい。
 
これが年齢を増すと、
毎日同じが平和でいい、とも思うようになることがある。
それぞれ、自分の求める願いがあるということか。
 
だが、何か現状に不満を持ち始めると、
取り替えたくなる気持ちも、やはり、ある。
政治においても、
新しいことをばんばんやって成功させてもらいたい。
期待しては、期待通りにならないと、
すぐにダメだと烙印を押す。
 
目先がぱらぱらかわっていく、
雑誌がよいらしい。
一つのことを追究する書物など、
「カタイ」し、「ムズカシイ」。
そもそも、それだけ一つのことを
じっくり考えようなどとも思わない。
 
そう。
政治でもそうだが、「劇場」が望ましい。
 
それでいて、時に
一つのことを貫いた人が話題になると、
「一つのことを夢をもって続けるのがいいんだ」
などという標語が世の中に広まるが、
結局間もなくその人のことも忘れられる。
そういう成功者もまた、
目新しく次々と現れるということを、人は望んでいる。
 
パウロがアテネでキリストを伝えようとしたとき、
哲学や議論の好きなギリシア人たちは、
物珍しさから、
何を話すかと期待して聞いていたという。
しかし、それが荒唐無稽であると判断して、
またこの次聞こう、などと、
つまり、もう結構だよ、と拒否を突きつけたという。
 
キリスト教会に、何か救いを求めて来た人も、
少し落ち着いてくると、
教会に来なくなることがある。
そのことをそのことの故に責めるようなことを
私はするつもりはないが、
中には、ちょっと物珍しさの気持ちだけで
通過していくという場合があるかもしれない。
もしそうだとすると、哀しい。