先日、朝日新聞サイトに、
「あいさつがない人、入店お断り」なる記事があり、目を惹いた。
小田原の駄菓子屋さんだそうである。
入口には、
「店長にあいさつできない方の入店はお断りしてます」
と書いた紙が貼られている。
ひとつ、好ましい試みである。
実に、挨拶をしない子どもは多い。
人から挨拶を投げかけられても、
声も表情も返さない。
まるでテレビの中の人物が「こんにちは」と言っているかのように、
目の前の人が挨拶するのを眺めているだけだ。
まさに、テレビのもたらす悪影響の一つだろう。
私も、小学校で、「挨拶をしない」と先生に注意されたことがある。
言われて悔しかったので、
それからは挨拶を積極的にするようになった。
思えば素直なものだが、
これは私にとり、大きなエポックとなった。
大げさに言えば、人生観が変わったのである。
挨拶について、以前私はこのように分析した。
たとえばマンション生活では、
同じ建物に住んでいても、互いのことを知らない相手が多い。
しかしまた、何かと出会うことが多く、
エレベータでも同乗することもある。
このようなときに、
「自分は安全な人間です」ということを表明する、
それが挨拶ではないか、と。
何を考えているか分からず、
敵意を抱いているような者とは、
すれ違うにも緊張するだろう。
ましてエレベータ空間を共有するのは勇気が要る。
とくに女性は、命がけであるかもしれない。
挨拶は、大丈夫ですよというサインになりうるのではないか。
企業の中には、
挨拶ができるかどうか、で
採用を決めているところもあるという。
人間をそんな一面で決めていいのか、と思われるかもしれないが、
長くつきあう相手を選ぶとなると、
何をどうテストしても、すぐには分からないのが当然である。
そのとき、挨拶というコミュニケーションが、
人の様々な側面を物語るということは、大いにありうることである。
もちろん、挨拶だけは愛想がいいが中身がない、ということもあろう。
しかし、挨拶という中にコミュニケーション能力が、実はかなり、出る。
ここで選択基準をもつのが蓋然性が高いというのは、私は肯ける。
(続く)