その年による個性が、生徒たちにはあるというが、
今年の中三生たちは、どうもいただけない。
受験に対する真剣味が薄い輩が目立つ。
 
もちろん、真底受験を意識していないわけではない。
一種の照れのようなもので、
へらへらしている部分があるだろうことも、予想がつく。
だが、どうにも落ち着きがない。
 
受験まであと四ヶ月。
私立だったら三ヶ月。
焦れとは言わないが、
学習に集中する姿勢は見せてもいい。
 
どうしてあと何ヶ月という時間の中で
真剣に取り組めないのだ。
 
そんなことをぼやきながら、
ふと矛先が自分に向けられていることに気づいた。
はや色づいている畑を見て、
借り入れの近いことを知れ。
夏が近づいたら云々。
キリストの言葉は、時の兆しを知れということだった。
 
果たして、自分はどれほどの準備をしているというのか。
へらへら毎日何も考えずに無駄に過ごしているのは、
まさにこの私ではないのか。
 
受験どころではない。
たしかに、合格か不合格かが関心の的ではあるにしても、
元来すでに救われているという事実が先行しているべきである。
しかしその中で、自らの怠慢のために合格できなかったとすれば、
悔やむことすらできないではないか。
 
時の中での真剣さにおいては、
油断したり甘く見たりしないでいたいものだと思わされた。