どだい、機械というものを信用していないから、
パソコンについても、私は日々、
バックアップを欠かさなかった。
自分で作成した原稿は、USBに保管しておくのだ。
まさか、パソコンが「今日」壊れるわけがない。
そのように考えたくなる気持ちは分かるが、
「今日」壊れないという保証はどこにもない。
どの日でも同じようなことが起こる可能性がある。
どだい、私は自分の記憶というものをも信用していない。
だからこそ、メモ帳やメモカードを持ち歩いている。
後で書こう、などと思っていると、
後になって、あれが何の発想だったのか、分からなくなる。
アイディアというのは、そういうものだ。
違うことを考えると、もう忘却の彼方に流れ去ってしまう。
頼りない記憶力の代わりとして、
何かに書きつけておくのである。
記憶すべき内容のため、そして
それを理解するために。
自分をこよなく信じている人には、
そうした方法は相応しくないだろう。
だが、私の経験からしても、
自分や機械を完全に信用するよりは、
一種の警戒を味わっていると健全である。
全面信頼できるものは、
この地上にはない。
それくらいの姿勢で臨んだほうが、
きっとよいことがあった、と見つけられそうな気がする。
パソコンについても、私は日々、
バックアップを欠かさなかった。
自分で作成した原稿は、USBに保管しておくのだ。
まさか、パソコンが「今日」壊れるわけがない。
そのように考えたくなる気持ちは分かるが、
「今日」壊れないという保証はどこにもない。
どの日でも同じようなことが起こる可能性がある。
どだい、私は自分の記憶というものをも信用していない。
だからこそ、メモ帳やメモカードを持ち歩いている。
後で書こう、などと思っていると、
後になって、あれが何の発想だったのか、分からなくなる。
アイディアというのは、そういうものだ。
違うことを考えると、もう忘却の彼方に流れ去ってしまう。
頼りない記憶力の代わりとして、
何かに書きつけておくのである。
記憶すべき内容のため、そして
それを理解するために。
自分をこよなく信じている人には、
そうした方法は相応しくないだろう。
だが、私の経験からしても、
自分や機械を完全に信用するよりは、
一種の警戒を味わっていると健全である。
全面信頼できるものは、
この地上にはない。
それくらいの姿勢で臨んだほうが、
きっとよいことがあった、と見つけられそうな気がする。