21日の西日本新聞の一面コラム「春秋」に
乙武洋匡氏の本のことが紹介されていた。
手足を欠く中で驚異的な活躍をしてきた方だが、
小学校の教師という夢も叶えた。
 
コラムは、
障害があろうが、
みんなと違おうが、
それでもその人はその人、かけがえがない、
という声をいくつも載せていた。
よいことが書いてあったとほっとしたのだが、
最後の一文を読んだとき、私は違和感を覚えた。
 
これは、そのまま受け取ってよいのだろうか?
それとも、どんでん返しを狙って書かれているのだろうか?

最後の段は、こうなっていた。
 
  いろいろあって、1年が過ぎようとするころ、
  先生は金子みすゞの詩「私と小鳥と鈴と」を
  みんな一緒に朗読させた。
  「作者が一番伝えたいことが書かれている、
   と思う1行に、線を引いてごらん」。
  ほとんどの子が同じところに線を引いていた。
  〈みんなちがって、みんないい〉
 
皆さんも、引っかかるものがなかっただろうか。
ここまで、みんなちがってよい、と積み重ねてきた最後に、
みんなちがってよい、という詩を挙げたのはよいのだが、
「ほとんどの子が同じところに線を引いていた」
と結んでいるのだ。
 
ちがってよいなら、
ちがったところに線を引いてもよいのではないだろうか。
 
ちがってよい、と言いながら、
同じところに線を引いた、と締めくくるのは、
文を書く人がアイロニーとして用いるテクニックである。
ちがってよいなんて、愚かな考えだ、と示したいときに使うのである。
 
たぶん、そういうつもりで
コラムニストは書いたのではない、と推測する。
だが、ありふれたアイロニーであることにさえ気づかないほど、
当然同じところに線を引くのだ、と称えているのだとしたら、
私は少し怖い気がする。
 
これは善いことだ。
だから全員賛成しなければならない。
 
このような思い込みによる暴力が、
どんなに怖いことか。
歴史の中で、何を引き起こしてきたか。
そこに、知らず識らずはまっているのだから、
やはりこの罠は恐ろしいことなのだと真底思う。
 
真実はどうだか分からない。
お目に留まったとしたら、
西日本新聞の方に教えて戴きたいものだ。