地上デジタル放送。
それに変更することを、「地デジ化」という。
これを「鹿」に見立てたキャラクターは、
かなり成功しているといえるだろう。
 
日本国憲法の公布と施行について教えたとき、
地デジの予告のようなのだ、と説明すれば
子どもたちは皆肯いた。
 
どうしてそうしなければならないのか。
どうして、まだ見られるテレビを捨てなければならないのか。
 
そう言うと必ず、
チューナーをつければ捨てなくて済むのですよ、
などと言う人がいる。
余計なお世話だ。
来年から車がすべて電気自動車になります、買い換えなさい、
ただし後部座席を潰してバッテリーを置けば今のも乗れます、
などと言われて、それはありがたい、と思うだろうか。
 
政治的な狙いと、情報分野や電機関連の企業とが
うまく決めたようなことで、いわば
悪代官と越後屋とが陰で手を結んだような構図に、
誰かが思っているかもしれない。
 
この一年か二年の間に、
すべての家庭ですべてのテレビが買い換えられると言ってもよく、
これはもう特需である。
 
思い出もあるテレビであるし、
まだまだ何の故障も問題もないテレビであったが、
我が家でもこのたび、新しいテレビが来ることになり、
入れ替わって廃棄されることとなった。
 
なんとももったいない話である。
しかし、新たにしたことで、
「エコ・ポイント」なるものまでもらえた。
いったい、何がどう「エコ」なのか、よく分からない。
「エゴ」だったら分かるような気もするが。
 
デジタル的に統一され、画一化されていく傾向が多々あり、
どうやら教育の世界にもこの波を浴びせようとする計画があるようだ。
人間をデジタル的発送で形成しようと考えること自体、
私には冒涜のように思えてならないのだが、
ここでもまた、教育行政と業者の癒着があるのかどうか。
なんらかのつながりは、必ずある。
世の中は、どうもそのようにできているらしい。