駅や公園のベンチ、
いつからか、デザインが大きく変わっている。
一続きの長椅子状ではなくなり、
ひとつひとつ個々に座る椅子となっている。
昔はこのスタイルは殆ど見なかったが、
今はこれが圧倒的に多い。
隣りに座る人とくっつきたくない、
距離を置きたいということだろうか。
たしかに女性にとっては、
男性と隣りに座っても、これだと接触しなくても済む。
椅子と椅子との間には、荷物置きの台があるなど、
かなりの距離があるからだ。
袖すり合うも多生の縁、とやらに、
ベンチに並んで座った人と会話が弾む、
などといった風景は、もはや幻想に過ぎないのだろうか。
他人にはまるで関わらない。
それは、電車内でも同じだ。
いちいち例は挙げないが、今日も不愉快な思いを私は覚えた。
どうしてそれほどに、
他人に無関心で想像すらしようとしないのか、と。
ベンチであるから、実は下部はつながっている。
ただ、椅子だけが独立している。
このために、隣りにいる人は自分の埒外に完全に置かれる。
それで、私はこういう体験をした。
駅で電車を待っているとき、そうしたベンチに座っていた。
こういうとき、私はまず例外なく本を読んでいる。
と、地震かと思う揺れがあった。
二つ隣りに、背広を着たおじさんがいた。
この人が、扇子を、力一杯振り回している。
猛暑の時季ではない。今月、秋めいた頃だ。
ばたばた扇子を動かすと、ベンチ全体が揺れまくる。
本が読めない。
もちろん、ここが問題だ。
そのおじさん、
横のほうの私ががしゃがしゃ揺れていることに、
全く気づいていない。
女子高生などは、
足をぶらんぶらんさせて楽しくお喋りすることが多い。
同様に私は大揺れして、本の字がぶれて読めない。
本が読めないことを咎めているわけではない。
他人を揺らしていることに、
本人が気づいていないし、
気づこうともしていない点が問題なのだ。
(続く)