イスラムとの間のいざこざにも先日触れたが、
アメリカの悪口を言ったように聞こえたらすみません。
アメリカは、新しい国である。
理想を掲げて、海を渡ってきたイギリスのピューリタンがリードして
国を拓いた。
いや、その言い方も、
現地に元々住んでいた人々には失礼にあたるかもしれない。
だがともかく、
アメリカを支配してきたのは、そうした新しい風だ。
 
ヨーロッパは、たとえば宗教改革を経たとき、
すさまじい争いを呈した。
宗教改革は、純粋に宗教の事件なのではない。
諸侯や国王、皇帝などの利害と思惑が重なり、ぶつかり、
血生臭く醜い争いを繰り返してきた歴史の一部なのである。
 
もしかすると、
そのことを話題になどしたくないほどの、
ヨーロッパの汚点というものがあるだろう。
中世の魔女裁判もそうだが、
へたをすると宗教改革期前後の出来事も、そうだろう。
近代以後の発展は顔を輝かせる西欧人が、
近代以前の頃の話になると顔を歪める様子が想像される。
 
アメリカには、
その汚点というものが、さしあたりない。
もちろん、人種差別や南北戦争など
ごたごたはあるし、今も残る問題であるとも言えるだろう。
しかし、比較問題ではあるけれども、
ヨーロッパにおける争いほど醜いものではない。
 
アメリカは、やはり世界の中ではホープに属する国なのだ。
伝統や歴史がないことで、負い目を覚える人もいるが、
伝統や歴史がないゆえに、振り返りたくない汚点も見当たらないのである。
 
ただ、欧米のそうした歴史的な話題は、
どこか限定されるような気がするのだが、どうだろう。
日本におけるほどには、
自国の歴史というものを度々持ち出すようなことがないみたいに。
 
あるいはまた、日本という国が、
きわめて自意識が高い国であるということなのだろうか。
それは、自意識が適切であるということと等しいものではない。
とにかく自意識の高さゆえにまた、
自虐的なところもあるわけだが、
適切に自己を認識しているという保証も、どこにもない。
 
まあ、自己認識ということは、そもそも難しいものではある。
どこの国であっても、それがうまくいっているようには見えない。
自国を称えることしか許さない支配の仕方が、
国民の幸福を招いているのかどうかも、きわめて怪しいものなのだ。
 
アメリカが覇権を握っているのは、さしあたり確かであろう。
まだしばらくは、実際上、世界のリーダーを司ることになるだろう。
経済のみならず、この国の動向は、世界史を変えるものとなるはずだ。
いわゆる終末の時代へ向かって流れていく歴史は、
アメリカをも何らかの存在として利用していくであろう。
アメリカと関わりのある私たちは、責任を伴いつつ、
アメリカの動きを見張っていなければならないのである。