だが、少し落ち着いて考えて戴きたい。
アメリカという国家が、コーランを焼くなどと考えたわけではなく、
ある特定の個人と呼ぶに等しい小さな集団である。
アメリカは国家全体としては、これをしてはいけないという考えに傾いている。
それに対して、この報道がなされたとき、
アフガニスタンの首都では、
アメリカの星条旗が焼かれる騒ぎにまでなっている。
これもまた、どうなのだろうか。
アメリカ国家がとんでもないことをやらかそうとしたのではないのだ。
だのに、報復として星条旗を焼いている。
そもそもコーランは、その時にはまだ焼かれてなどいなかった。
計画だけが漏れたのだ。
これでは、目には目を、にすらなっていない。
アメリカに芽生えた過激なグループもまずいが、
これに一様に激しく応えたイスラム側も、
何かしら考慮を願いたいところだ。
どう解決してよいか分からないような、
この9・11である。
歴史の中で繰り返されてきた憎悪は、
現代においても同様に、解決できないものとして遺るのであろうか。
しかし、これでまた中途半端な報道のために、
キリスト教は危険な一神教だ、などと信じる者が増えたとしたら、
それもまた悲しいことである。
誰も皆、自分に都合のよいようにしか、出来事を認識しないらしい。
犠牲者たちは、もはや何をも声出すことができず、
私たちの祈りをただ待っているだけであるのかもしれない。