KBS京都という放送局がある。
地味な局で、系列に関係しないわけではないのだが、
多くの番組を自作している頑張り屋である。
ただ、京都のローカルな話題と、ショッピング番組が多く、
ワイドショーのようなものをその日に再放送するというのも珍しかろう。
競馬中継は長時間潰せるので全中継されるのではないか。
ラジオは他局とそう遜色はないのだが、
テレビは如何せん、そういう具合である。
だが、この局でなければ取材しないような、
京の伝統職人や歴史などの紹介は、
味わいのあることが多々ある。
お盆休みに、私は福知山の妻の実家にいた。
そこで見たKBS京都の番組には、
ちょっと見入ってしまった。
京うちわの老舗の主人の話が、
まことに京都そのもので、はんなりと聞きやすかったのもあるが、
浴衣姿の取材女性の物腰も、その場の応対も、
そしてなによりも紹介され語られる内容が、よかったのだ。
実はその日の昼、
私は百円均一の店に寄っていたのだが、
コンサートうちわ、なるものを見て驚いていた。
キラキラの大きなうちわがあり、
それにまた派手なテープを貼って文字とすれば、
コンサートで振ってステージに見える、目立つ、というわけだ。
あらあら、うちわもこんなふうに利用されるようになったのか。
そんなふうにさえ思っていた。
するとこの番組で老舗阿以波の御主人、
うちわは元々仰ぐものではなかった、と仰った。
古くは笏のように掲げ、高松塚古墳の彩色画にあったようだ、と。
後に日を避けかざす、今の日傘代わりにも用いられたし、
見せるために手にもつお洒落なグッズであったのだ、というのだ。
つまり、コンサートうちわというのは、
実はうちわの本来の使い方に近いのである。
仰ぐなんていうほうが、後に実用的に考えられた、
いわば付随的な使用法に過ぎないというわけなのだ。
だから、その店でも、
先代が考案した透かしうちわなるものもそうなのだが、
飾るものとしてのうちわが一つの大きなウリであるのだった。
主人はまた、
その女性と話しながら、その人には何が似合うか、
その人に相応しいうちわはどういうものか考えるために、
顔から仕草から、怠らずすべて観察しているのだと言った。
風を送るうちわではあるけれど、
人の求めるものを探す、いわば風を受ける必要があるのだ、と
主人は説明していた。
自分の思い込みで、意味や歴史を決めつけてはならない。
風に流されるのはかなわないけれど、
風を受けるというこの精神、
いい話を聞いた、と私は実に快い思いを抱くのであった。
地味な局で、系列に関係しないわけではないのだが、
多くの番組を自作している頑張り屋である。
ただ、京都のローカルな話題と、ショッピング番組が多く、
ワイドショーのようなものをその日に再放送するというのも珍しかろう。
競馬中継は長時間潰せるので全中継されるのではないか。
ラジオは他局とそう遜色はないのだが、
テレビは如何せん、そういう具合である。
だが、この局でなければ取材しないような、
京の伝統職人や歴史などの紹介は、
味わいのあることが多々ある。
お盆休みに、私は福知山の妻の実家にいた。
そこで見たKBS京都の番組には、
ちょっと見入ってしまった。
京うちわの老舗の主人の話が、
まことに京都そのもので、はんなりと聞きやすかったのもあるが、
浴衣姿の取材女性の物腰も、その場の応対も、
そしてなによりも紹介され語られる内容が、よかったのだ。
実はその日の昼、
私は百円均一の店に寄っていたのだが、
コンサートうちわ、なるものを見て驚いていた。
キラキラの大きなうちわがあり、
それにまた派手なテープを貼って文字とすれば、
コンサートで振ってステージに見える、目立つ、というわけだ。
あらあら、うちわもこんなふうに利用されるようになったのか。
そんなふうにさえ思っていた。
するとこの番組で老舗阿以波の御主人、
うちわは元々仰ぐものではなかった、と仰った。
古くは笏のように掲げ、高松塚古墳の彩色画にあったようだ、と。
後に日を避けかざす、今の日傘代わりにも用いられたし、
見せるために手にもつお洒落なグッズであったのだ、というのだ。
つまり、コンサートうちわというのは、
実はうちわの本来の使い方に近いのである。
仰ぐなんていうほうが、後に実用的に考えられた、
いわば付随的な使用法に過ぎないというわけなのだ。
だから、その店でも、
先代が考案した透かしうちわなるものもそうなのだが、
飾るものとしてのうちわが一つの大きなウリであるのだった。
主人はまた、
その女性と話しながら、その人には何が似合うか、
その人に相応しいうちわはどういうものか考えるために、
顔から仕草から、怠らずすべて観察しているのだと言った。
風を送るうちわではあるけれど、
人の求めるものを探す、いわば風を受ける必要があるのだ、と
主人は説明していた。
自分の思い込みで、意味や歴史を決めつけてはならない。
風に流されるのはかなわないけれど、
風を受けるというこの精神、
いい話を聞いた、と私は実に快い思いを抱くのであった。