九州エネルギー館に今週行った。
動物園は、人がまばらだったのに、
近くのこの施設は親子連れで溢れていた。
多分に、冷房の入った施設を
親が求めたのだろうと推測できると思う。
いろいろなゲームを通して
子どもたちが、エネルギーに関心をもつように工夫されている。
たいていは、ゲームで終わるだろうとも思われるが、
少しでも、何か心に残れば、という
健気な願いがこめられているようにも感じた。
会場のあちこちに、看板がある。
「やさしくあつかいましょう」
つまり、乱暴に扱って機械が壊れることが多発しているのだ。
いくつもの機械が「調整中」となっている。
会場に、ガンガン音が響いてきた。
さすがにコンパニオンが様子を見に出たが、
その様子を感じて、その小学上級生の男の子は、
こそこそとその場を去った。
またしばらくすると戻ってきてバンバンバン……。
ハンマーで、必要の何倍もの力で殴りつけているのが遠目に見えた。
女の子は、力任せにということはないように思っていたが、
やたらスイッチを連打している様子が見えた。
目の前に、あるタイミングでスイッチを押すと、
計測ができるというようなことが書いてあるのに、
おそらく一行たりとも説明を読んでいないのだ。
ほかにも、枚挙に暇がない。
簡単な説明書きを、子どもたちは、もはや読もうともしない。
とりあえずスイッチを押してみる、
回してみる……。
説明が難しいものがないわけではないが、
さすがにこういう施設、
小学生中学年で十分読めて理解できるように書かれてある。
子どもたちは、それを、読もうともしないのだ。
こうしたゲームは、安全が保証された空間である。
失敗しても、誰も傷つかないし、
基本的に破壊されることもない。
幾度でも繰り返しやり直しができるし、
失敗したことの責任を負わされることもない。
それがゲームである。
だからまた、時に刺激的に、
ゲームが現実となっていくという物語が
ちょっと恐怖めいて若者に受け容れられたりもするのであろう。
このような場で養われていく精神は、現実の中に
どんな危険がはらんでいるか、
やりなおしの利かない事柄が現実にあるのだという考えを
身につけないままに大人になっていく危険がある。
「とりあえず」やっちぇえ。
「とりあえず」やったらいいんだ。
そういう思考回路で、準備もせず慎重にもならずに
やってみれば何とかなるという安易な生き方が常識となっていく。
いじめにしても、この範疇で考えると、一つの納得ができる可能性がある。
(続く)