歌手が、母校を訪ねるという番組。
テレビ番組としては、なかなかよい企画だ。
 
ステージの幕が開く。
後輩たちは、拍手と歓声で迎えてくれる。
 
だが、もし、
幕が開いてライトが当たっても、
白けた空気が流れていたとしたら、どうだろう。
冷ややかな眼差しと、沈黙が続く。
 
いや、それくらいならばまだましか。
罵声が浴びせられる。
「かえれ」コールが始まるとしたら……。
 
それでも、そのステージからは逃げられない。
退くことはしない、と心に誓った身としては、
自分のステージをやり遂げようとするしかないだろう。
 
イエスは、故郷で受け容れられなかった。
あいつは……と後ろ指を指されながら、
追われて出て行くのだった。
 
イエスは、エルサレムへ向かった。
エルサレムでもまた、同様の仕打ちを受けた。
そればかりではない。
「殺せ」のシュプレヒコールに、
なすすべなく、あるいは何をなそうともしないで、
屠られる場に引き渡され、枕するしかなかった。
 
誰にも理解されず、
いつも疎外された。
ただ、同様に弱く人々から弾かれた者たちからは慕われた。
自分の癒しのためという自利の目的からであったとしても、
弱く貧しい立場の者たちには
味方だと受け取られた。
 
イエスは、時に痛烈に批判を加えた。
自分を正しい思い込む轍にはまっていながら
そのことに気づかないで
加害する自らさえ見えなくなった者たちを攻撃した。
 
だから、人の世には居場所をなくした。
 
拍手とは何か。歓声とは何か。
それが人の世を明るくすることも、分かる。
喜びを与えることも、分かる。
それ故にそれこそが最高善であるかのように
勘違いされてしまうのも、分かる。
 
私もまた、罪ある者に過ぎないのだが、
だからといって、
全否定される必要はない。
キリストが崇められるように、と心から思うのであるならば。