後先のことを考えず、
今さえよければいい、のような発想であるのかと思うと、
必ずしもそうではない。
彼らは、本当に、涼しすぎる設定でないと、
涼しいと感じないようなことがあるのだ。
つまりは、家庭でもあまりに冷房の効き過ぎた状況に慣れて、
それくらい冷えていないと耐えられないというか、
冷えているのが当たり前だという感覚でいるようなのだ。
 
私が恐れていたとおりに、
自分で自分の体温調節が満足にできないほどに
冷房の中でばかり生活し、
発汗によって体温を調節するという、
本来の生物としての営みをする機能が薄れているかのようにさえ見えるのだ。
 
もちろん、昔の夏とは違う面があるのも確かである。
コンクリートジャングルの都会と
この自分さえよければのエアコン万歳の風潮による室外機のもたらす熱気が、
都会を地獄同然につくりかえている状況もある。
だから、昔は乗り切れた、と思う年配の方々が
ばたばたと倒れることになる。
 
しかし、変化する環境に対応していく生物的な強さが、
なくなっているように見えるのも確かなのだ。
ある研究家が、発汗作用そのものをリポートしていた。
汗のかきかたが、不器用になっている面は否めないというのだ。
ぶわっと汗をかき、代謝をよくするタイプが通常であったと思われるのに、
そうでなくからだの中にいざという時に熱を溜めてしまうタイプが
多くなってきているらしいのだ。
自分で調節を繰り返していくことのない甘い生活が、
自らを管理していく能力を奪っていっているかのようだ。
 
これは、体温の問題に限るものでもない。
いろいろ、考えさせられるものである。