こうして、歴史は作られていく。
頭の良い者が、それを曲げることによって
人を操作して自分の支配下に置こうとすることさえある。
いや、歴史とは、それの繰り返しであったかもしれない。
だから権力者の手による歴史書は、
本当は話半分に聞かなければならないし、
背後にある真理を読み出すくらいでありたいものである。
新約聖書は、権力者の手によるものとはいえない。
弱い小さな立場の者による証言である。
それでも、背後にある真理は何かと探求されている。
たしかに、後期の書簡になると、
教会制度が整ってきた中でその運営を安定させるための知恵が含まれてくる。
だがそれにしても、
遺さなければならないという切迫した何かがあったことだろう。
まさか聖書になる、とは思わなかった著者も多々あるとは思うが。
戦争は嫌だ。
この点で意見はほぼ一致している。
だが、それは死にたくないとか壊したくないとかいう程度のことも多い。
そして、
70年、80年前の人々も、
同じように戦争は嫌だという思いが、ないわけではなかったはずだ。
戦場は、海外だという甘い意識があったのは確かだ。
まさか自分が戦火を逃げまどうとは考えていなかったことだろう。
爆弾を浴びるとは想定していなかったのだろう。
だから、
自分が戦争を煽っている張本人だという意識はなかっただろう。
自分が戦争に責任があるとは、認めたくもないことだろう。
伝えていくためには、自分の非を知り、
自分が変わっていくこと、変わっていったことを
伝えていくことが必要だ。
ペトロが、パウロが、
人に信用されたのも、
それをしていたからにほかならない。
福音は、
人を変えたのだ。
街角に、戦争反対の署名を呼びかける政党があった。
戦争を起こすのは他党である、と叫んでいた。
自分たちは戦争に反対であり、平和の味方だ、と訴えていた。
彼らの目指した革命は、決して戦争ではないと確信していた。
政治とは、自分の非を認めたら負けだという信仰をもつ世界なのだろうか。
頭の良い者が、それを曲げることによって
人を操作して自分の支配下に置こうとすることさえある。
いや、歴史とは、それの繰り返しであったかもしれない。
だから権力者の手による歴史書は、
本当は話半分に聞かなければならないし、
背後にある真理を読み出すくらいでありたいものである。
新約聖書は、権力者の手によるものとはいえない。
弱い小さな立場の者による証言である。
それでも、背後にある真理は何かと探求されている。
たしかに、後期の書簡になると、
教会制度が整ってきた中でその運営を安定させるための知恵が含まれてくる。
だがそれにしても、
遺さなければならないという切迫した何かがあったことだろう。
まさか聖書になる、とは思わなかった著者も多々あるとは思うが。
戦争は嫌だ。
この点で意見はほぼ一致している。
だが、それは死にたくないとか壊したくないとかいう程度のことも多い。
そして、
70年、80年前の人々も、
同じように戦争は嫌だという思いが、ないわけではなかったはずだ。
戦場は、海外だという甘い意識があったのは確かだ。
まさか自分が戦火を逃げまどうとは考えていなかったことだろう。
爆弾を浴びるとは想定していなかったのだろう。
だから、
自分が戦争を煽っている張本人だという意識はなかっただろう。
自分が戦争に責任があるとは、認めたくもないことだろう。
伝えていくためには、自分の非を知り、
自分が変わっていくこと、変わっていったことを
伝えていくことが必要だ。
ペトロが、パウロが、
人に信用されたのも、
それをしていたからにほかならない。
福音は、
人を変えたのだ。
街角に、戦争反対の署名を呼びかける政党があった。
戦争を起こすのは他党である、と叫んでいた。
自分たちは戦争に反対であり、平和の味方だ、と訴えていた。
彼らの目指した革命は、決して戦争ではないと確信していた。
政治とは、自分の非を認めたら負けだという信仰をもつ世界なのだろうか。