人々の興味や関心を知り
それを自分がうまく利用することで
利益を得る。
人々に対してはサービスと称するわけだが、
そのサービスの代価としての金銭が目的である。
たしかに、サービスを志して、という場合もある。
クリーニング業のはじまりなど、
人々の助けになりたい、ニーズを感じて、というものだっただろう。
だが、それを持続するためには資金が必要である。
企業たるものは、利潤を得なければ
活動を続けることができない。
儲からなくなれば、続けていくことが不可能になるのである。
金が第一の目的ではないかもしれないが、
金は確かに目的である。
それが善いとか悪いとかいう問題ではない。
そういうものだ、ということである。
人々が、何を求めているか。
人の動きに目を配る。
いち早くそれの代行をするように準備し、
代価を受け取る。
つまりは、「売れる」ということである。
どうすれば売れるのかどうか、そこに焦点がある。
彼らは、その職業そのものが、いわば自己実現の場となっているのである。
さて、他方、
売れるかどうかには関心を払わないタイプの人もいる。
真理とは何か。
ほんとうのところ、何なのだろうか、を追究するのである。
人々との関わりの中で、ある種人助けをして
その代わりに儲けを得ようとする思考法から全く離れて、
真実を追い求める。
金のために自分に嘘をつくのは嫌だ、と思い、
ほんとうのものを得たい、知りたいと願う。
そういうタイプである。
もちろん、食べていかなければならないから、
そういう人も、職をもつ。
だがえてして、その職はなんとか金を得るための手段であり、
その職そのものが自分の究極のものだとは見なされていない。
たとえば、星の観測に熱を入れる人がいて、
彗星に名前をつけることに生き甲斐を感じているとしても、
天文そのものを職業とはしていない場合などである。
科学の世界には、そういうタイプの人がいる。
人文科学にもある。
大学における研究は、なんとかそれを職業として成立させていることになる。
そしてまた、
宗教家も、このタイプに属するであろう。
(続く)
それを自分がうまく利用することで
利益を得る。
人々に対してはサービスと称するわけだが、
そのサービスの代価としての金銭が目的である。
たしかに、サービスを志して、という場合もある。
クリーニング業のはじまりなど、
人々の助けになりたい、ニーズを感じて、というものだっただろう。
だが、それを持続するためには資金が必要である。
企業たるものは、利潤を得なければ
活動を続けることができない。
儲からなくなれば、続けていくことが不可能になるのである。
金が第一の目的ではないかもしれないが、
金は確かに目的である。
それが善いとか悪いとかいう問題ではない。
そういうものだ、ということである。
人々が、何を求めているか。
人の動きに目を配る。
いち早くそれの代行をするように準備し、
代価を受け取る。
つまりは、「売れる」ということである。
どうすれば売れるのかどうか、そこに焦点がある。
彼らは、その職業そのものが、いわば自己実現の場となっているのである。
さて、他方、
売れるかどうかには関心を払わないタイプの人もいる。
真理とは何か。
ほんとうのところ、何なのだろうか、を追究するのである。
人々との関わりの中で、ある種人助けをして
その代わりに儲けを得ようとする思考法から全く離れて、
真実を追い求める。
金のために自分に嘘をつくのは嫌だ、と思い、
ほんとうのものを得たい、知りたいと願う。
そういうタイプである。
もちろん、食べていかなければならないから、
そういう人も、職をもつ。
だがえてして、その職はなんとか金を得るための手段であり、
その職そのものが自分の究極のものだとは見なされていない。
たとえば、星の観測に熱を入れる人がいて、
彗星に名前をつけることに生き甲斐を感じているとしても、
天文そのものを職業とはしていない場合などである。
科学の世界には、そういうタイプの人がいる。
人文科学にもある。
大学における研究は、なんとかそれを職業として成立させていることになる。
そしてまた、
宗教家も、このタイプに属するであろう。
(続く)