コーヒーはマンデリン。
こればかりはたぶん一生変わりそうにない。
苦味にすっかり慣れてしまうと、
ほかのコーヒー豆が酸っぱく思えてならなくなる。
基準が定まると、見える景色が変わってくる。
ある政治家が、右派ですねと言われたとき、
「○○から見れば私は左派ですよ」と笑ったとか。
そもそも私たちは、このような方法で
様々な批判をかわそうとしている。
こんなに成績が悪いとは、と叱られても、もっと悪いのがいるよ、などと。
コーヒーはマンデリン。
ところが、マンデリンにもいろいろある。
近いところでは、ファディという店舗が、
二種類のマンデリンを用意している。
値段の高いほうを試したことがあるが、
私にすれば甘くて上品だった。
それで、安いほうが私の定番となった。
ここのマンデリンは、見た目の豆が薄い色だ。
もっと濃い色に煎ったほうが苦いのではないか、とも思えた。
まずめったに他店では買わないのだが、
ふとした経緯があって、別の輸入食料品店で少し買ってみた。
最初は、色の濃い深煎りだった。
ところが、これがさほど苦いものではない。
いや、苦味そのものが潰されたような印象だった。
二度目は、ノーマルなマンデリン。
質が悪いことは全くない。
ただ、私にとっては、酸味が強い。
多分、コーヒー通の方には、この程度の酸味がほどよくマッチするのだろう。
だが、私にはその僅かな酸味が、邪魔に感じるのだった。
「ほろ苦い」というのが、失敗した思い出に伴う味のようだ。
これが「苦い」となると、立ち直れないほどの失策に見える。
若いころの失敗は、ほろ苦いのだが、
取り返しのつかない、あるいは取り戻すのに多大な犠牲を払う失敗は
まさに苦い経験である。
もしかすると、「ほろ苦い」というのは、
少しの酸味を認めるものであるかもしれない。
若気の至りだと、「甘酸っぱい」思いも混じるだろうから。
しくじりもまた、甘酸っぱさやほろ苦さと共に乗りこえるのなら、
あるいはその人は十分若い気持ちでいるのかもしれない。
一度の失敗で絶望に至るような考え方の人もいるという。
さすがに失敗が重なると、人間落ち込んでいくかもしれないが、
世間で言う負け犬とか負け組だとか(昔マルビとかクライとかもあった)いう言葉が
ますますその人の傷を大きくしていくのだとすると、
自暴自棄な事件を起こした人について、
傍観的な私たちが強ち無関係だなどとは言えなくなる。
ほろ苦い、壮行試合の経験を活かして
決勝トーナメント進出を決めたワールドカップの日本チームには、
無礼講のチャンスであるかのようなバカ騒ぎよりも、
乗りこえていく勇気を学ぶことを望みたいところだ。
しかも、そのときに大切なことがある。
あるアンケートによると、3人のうち2人は、
決勝に進むなどと考えず、選手たちに重圧を与えていた側にいたという。
その点は、きっぱり謝った上で応援に勤しむがいい。
こればかりはたぶん一生変わりそうにない。
苦味にすっかり慣れてしまうと、
ほかのコーヒー豆が酸っぱく思えてならなくなる。
基準が定まると、見える景色が変わってくる。
ある政治家が、右派ですねと言われたとき、
「○○から見れば私は左派ですよ」と笑ったとか。
そもそも私たちは、このような方法で
様々な批判をかわそうとしている。
こんなに成績が悪いとは、と叱られても、もっと悪いのがいるよ、などと。
コーヒーはマンデリン。
ところが、マンデリンにもいろいろある。
近いところでは、ファディという店舗が、
二種類のマンデリンを用意している。
値段の高いほうを試したことがあるが、
私にすれば甘くて上品だった。
それで、安いほうが私の定番となった。
ここのマンデリンは、見た目の豆が薄い色だ。
もっと濃い色に煎ったほうが苦いのではないか、とも思えた。
まずめったに他店では買わないのだが、
ふとした経緯があって、別の輸入食料品店で少し買ってみた。
最初は、色の濃い深煎りだった。
ところが、これがさほど苦いものではない。
いや、苦味そのものが潰されたような印象だった。
二度目は、ノーマルなマンデリン。
質が悪いことは全くない。
ただ、私にとっては、酸味が強い。
多分、コーヒー通の方には、この程度の酸味がほどよくマッチするのだろう。
だが、私にはその僅かな酸味が、邪魔に感じるのだった。
「ほろ苦い」というのが、失敗した思い出に伴う味のようだ。
これが「苦い」となると、立ち直れないほどの失策に見える。
若いころの失敗は、ほろ苦いのだが、
取り返しのつかない、あるいは取り戻すのに多大な犠牲を払う失敗は
まさに苦い経験である。
もしかすると、「ほろ苦い」というのは、
少しの酸味を認めるものであるかもしれない。
若気の至りだと、「甘酸っぱい」思いも混じるだろうから。
しくじりもまた、甘酸っぱさやほろ苦さと共に乗りこえるのなら、
あるいはその人は十分若い気持ちでいるのかもしれない。
一度の失敗で絶望に至るような考え方の人もいるという。
さすがに失敗が重なると、人間落ち込んでいくかもしれないが、
世間で言う負け犬とか負け組だとか(昔マルビとかクライとかもあった)いう言葉が
ますますその人の傷を大きくしていくのだとすると、
自暴自棄な事件を起こした人について、
傍観的な私たちが強ち無関係だなどとは言えなくなる。
ほろ苦い、壮行試合の経験を活かして
決勝トーナメント進出を決めたワールドカップの日本チームには、
無礼講のチャンスであるかのようなバカ騒ぎよりも、
乗りこえていく勇気を学ぶことを望みたいところだ。
しかも、そのときに大切なことがある。
あるアンケートによると、3人のうち2人は、
決勝に進むなどと考えず、選手たちに重圧を与えていた側にいたという。
その点は、きっぱり謝った上で応援に勤しむがいい。