昔はよかった。
この言葉は、「最近の若者は……」と同様
年をとれば誰もが思ってしまうことで有名なフレーズである。
昭和30年代が懐かしがられているというのは、
その年代を知る人が年配になったというだけのことだ。
そのうち、「ガンダムってのはよかった……」という回顧が始まるだろう。
いや、もう始まっているかもしれない。
昔の子どもは目が輝いていた。
こういうふうな感想もよく聞かれる。
今の子どもの中に輝きを見出すことができない、
大人の目が曇っているのではないかと私は思うが、
それでもそのように言いたくなる気持ちが分からないわけではない。
ただ、
今は子どもの虐待があって可哀想だ、という感想には、同意できない。
昔もあったのだ。
昔は少年犯罪などなかった……
そのように言うことが、いかに馬鹿げているかを考えれば
分かっていただけるかと思う。
「昔」というのがいつのことを言うのかも定かではないが、
その発言者の若い頃、という意味で捉えてみても、
その頃は、
それはニュースになどならないほど当たり前のことだったのだ。
学校で教師に殴られることはむしろ必要な教育であったし、
親が子どもを殴ることは当然のことでもあった。
軍隊というところが、殴って教育するところであったと言えば、
何が常識であったか、分かろうというものだ。
もちろん、すべての家庭でそうだ、などというつもりはない。
科学的普遍的命題ではない。
我が家は違った、という実例が
この「あたりまえ発言」の反論になるという意味ではない。
二十年前、
歩行喫煙は、市民権があったのだ。
今、
タバコを吸うというだけで肩身が狭い、
吸う者は追いやられて惨めですよ……などと、
自分がどれだけ害を与えてきたまだ気づいていない甘えた発言さえあるが、
二十年前には少なくとも、
誰にも何の文句もいわれずに、
歩きながら街中どこででも煙と火種で
他人に害を与え続けている、そういう「あたりまえ」があったのだ。
それはニュースにさえ、なりえなかったのだ。
基本的人権が守られなかったころには、
人権保障といった言葉などなかったし、
それについて事件などという適用がありえなかった。
そのことを、「なかった」と呼んでよいのであれば、
なるほど、このように言ってよいかと思う。
「昔は、子どもの虐待などなかった」と。
そう。昔は、少年犯罪も、なかったのだ。
なぜなら、それは通常の「犯罪」でしかなかった。
私たちの共通理解が、新たな分野の犯罪をつくる。
新たな「常識」が、新たな「悪」を生みだす。
だから、昔はその「悪」は存在しなかった。
昔はよかった、のである。
この言葉は、「最近の若者は……」と同様
年をとれば誰もが思ってしまうことで有名なフレーズである。
昭和30年代が懐かしがられているというのは、
その年代を知る人が年配になったというだけのことだ。
そのうち、「ガンダムってのはよかった……」という回顧が始まるだろう。
いや、もう始まっているかもしれない。
昔の子どもは目が輝いていた。
こういうふうな感想もよく聞かれる。
今の子どもの中に輝きを見出すことができない、
大人の目が曇っているのではないかと私は思うが、
それでもそのように言いたくなる気持ちが分からないわけではない。
ただ、
今は子どもの虐待があって可哀想だ、という感想には、同意できない。
昔もあったのだ。
昔は少年犯罪などなかった……
そのように言うことが、いかに馬鹿げているかを考えれば
分かっていただけるかと思う。
「昔」というのがいつのことを言うのかも定かではないが、
その発言者の若い頃、という意味で捉えてみても、
その頃は、
それはニュースになどならないほど当たり前のことだったのだ。
学校で教師に殴られることはむしろ必要な教育であったし、
親が子どもを殴ることは当然のことでもあった。
軍隊というところが、殴って教育するところであったと言えば、
何が常識であったか、分かろうというものだ。
もちろん、すべての家庭でそうだ、などというつもりはない。
科学的普遍的命題ではない。
我が家は違った、という実例が
この「あたりまえ発言」の反論になるという意味ではない。
二十年前、
歩行喫煙は、市民権があったのだ。
今、
タバコを吸うというだけで肩身が狭い、
吸う者は追いやられて惨めですよ……などと、
自分がどれだけ害を与えてきたまだ気づいていない甘えた発言さえあるが、
二十年前には少なくとも、
誰にも何の文句もいわれずに、
歩きながら街中どこででも煙と火種で
他人に害を与え続けている、そういう「あたりまえ」があったのだ。
それはニュースにさえ、なりえなかったのだ。
基本的人権が守られなかったころには、
人権保障といった言葉などなかったし、
それについて事件などという適用がありえなかった。
そのことを、「なかった」と呼んでよいのであれば、
なるほど、このように言ってよいかと思う。
「昔は、子どもの虐待などなかった」と。
そう。昔は、少年犯罪も、なかったのだ。
なぜなら、それは通常の「犯罪」でしかなかった。
私たちの共通理解が、新たな分野の犯罪をつくる。
新たな「常識」が、新たな「悪」を生みだす。
だから、昔はその「悪」は存在しなかった。
昔はよかった、のである。