駅での事故の話に続いてで恐縮だが、
もうひとつ、身近な電車の駅の風景をご紹介する。
 
電車が、ゆっくりとホームに入ってくる。
そのホームに、三歳になるかならないかの男の子。
いわゆる「黄色い線」より前に出て、中腰の姿勢。
危うくホームに落ちそうだ。
いや、落ちなくても、電車に接触するかもしれない。
 
しかし、周りの誰も気に留めていないように見える。
よく見ると、男の子のシャツの後ろのほうを
まるで紙袋の口をまとめるようにして
そこを握り、引っ張っている若い父親がいた。
これだと、手綱を引いているようなもので、
事故になる危険は、まずないと言えるだろう。
 
ああ、よかった──だろうか?
 
父親が、「高い高い」をするのは、
傍から見ていると危ないと思うことがある。
だが、子どもは親を信頼している。
これ以上の「信仰」はないと言えるくらい、平気だ。
キャッキャッと喜んでいる。
 
だから、この駅での風景も、
父親を信じている子どもの姿が微笑ましい──だろうか?
 
「高い高い」の場合は、
子どもが「独りで」そのような状態になることは、ありえない。
独りで空中に抛り上がるようなことは、考えられない。
だが、駅のホームの場合は違う。
今後、また駅に来たときに、
親が目を離した隙に、ホームの端に行ってしゃがむ可能性が、十分にある。
「まえに、パパといたときに、こうしたんだ」と
子どもの安心の記憶は確かである一方で、
後方でパパが服の端を握っているかどうかには、考えが及んでいない。
 
だから、ふらふらと、またやりかねないのである。
今は、確かに後ろで引っ張っているから大丈夫かもしれない。
だが、子どもには、
「そのようなことをしてもよい」という教育をしていることになるのだ。
 
(続く)