子どもの手を引いて、
横断歩道が近くにあるにも拘わらず、
車の隙を突いてさっさと渡る親がいる。
子どもには、建前などということは分からない。
「独りで」のときも、やってしまう可能性が大である。
 
親でなくても、信号を無視して道路を渡るというのは、
大人は自分で安全確認をしているから危険はないかもしれないが、
それを見ている子どもに、危険な教育をしていることになる、
そういう点で、罪な行為である。
 
こうしたことに「責め」を覚える人が、
少なくなったような気がしてならない。
権利は主張するが、義務を守ろうとする意識がない。
何かを失って初めて痛感するものであるが、
誰かが犠牲になったからといって、二度としなくなるものでもない。
 
福岡での飲酒運転で3人の幼子が犠牲になったとき、
世間に与えたショックは確かに大きかった。
だが、それで飲酒運転がなくなったわけではないのだ。
福岡の公務員でさえ、その後で度々、
飲酒運転を繰り返しているのだ。
 
危険についての責任を覚え、
それを子どもたちに教育していくという意識がない中で、
いったいどんな未来を私たちは背負っていると言えるのだろうか。
 
この、大人が、だ。