先日、或るJRの単線駅で見かけた風景。
「ただいま停車中の列車は、A行きです。
ご乗車の方は、お急ぎ下さい」
駅にアナウンスがあった。
二度、三度。
ところが、それは反対方向のB行きであった。
この列車、ぱっと見て分かるところに、
どこ行きかが明示されていないものだった。
また、駅の右左どちらがどちらとも書いていない。
日頃乗り慣れた地元の人ならば当然分かるが、
初めての人や慣れない人には、分からない。
少しばかりゆっくり停車するダイヤであったらしい。
もしどちらがどちらの駅か知っている人でも、
目の前で停車しているのを見たとき、
A行きなのかB行きなのか、判断ができない仕組みになっている。
ホームに今到着した二人の女性は、
B行きに乗りたかったらしい。
(そのことは後でなされた会話から分かった)
ダイヤグラムからして、目の前にあるのは
B行きなのだろうと思われるところまでは知っていた。
が、アナウンスは、しきりに「A行きです」と繰り返す。
たしかに、遅れや何かで、ダイヤ通りでないという可能性はある。
女性たちは、乗るわけにはゆかなかった。
そしてドアが閉まり、
列車は当然のことのように、Bの方向に走って行った。
これは困ったと憤慨した一人の女性が、
改札のところに、訳を尋ねに行った。
戻ってきた女性が、「まちがいだった」ことをもう一人に告げた。
「『いや、まちがいでした』と言って、笑うだけだったよ」
駅員の様子を、そのように伝えていた。
なんと職業意識のないJRの駅員であろう。
まだ殿様商売をしているつもりなのだろうか。
国鉄時代には、そういう話はあったかもしれない。
だが、いったい民営化して、何年経つというのか。
最低限、誤りを謝ることくらいは、できないものか。
謝ると、責任問題にでもなるというのか。
客を、なんだと思っているのだろう。
間違いは、誰にでもある。
だが、「すみません」の一言の必要であることを
教育していないのだろうか。
できたのは、謝りを誤ることであった。
そう。
尼崎での事故から、五年が過ぎたが、
JRとはどういう精神で動いているのか、
あの事故は、起こるべくして起きたのだ。
そして、起きてもなお、
この調子で何も変わろうとしていないらしい。
また、起こらなければいい、と祈るばかりだ。
「ただいま停車中の列車は、A行きです。
ご乗車の方は、お急ぎ下さい」
駅にアナウンスがあった。
二度、三度。
ところが、それは反対方向のB行きであった。
この列車、ぱっと見て分かるところに、
どこ行きかが明示されていないものだった。
また、駅の右左どちらがどちらとも書いていない。
日頃乗り慣れた地元の人ならば当然分かるが、
初めての人や慣れない人には、分からない。
少しばかりゆっくり停車するダイヤであったらしい。
もしどちらがどちらの駅か知っている人でも、
目の前で停車しているのを見たとき、
A行きなのかB行きなのか、判断ができない仕組みになっている。
ホームに今到着した二人の女性は、
B行きに乗りたかったらしい。
(そのことは後でなされた会話から分かった)
ダイヤグラムからして、目の前にあるのは
B行きなのだろうと思われるところまでは知っていた。
が、アナウンスは、しきりに「A行きです」と繰り返す。
たしかに、遅れや何かで、ダイヤ通りでないという可能性はある。
女性たちは、乗るわけにはゆかなかった。
そしてドアが閉まり、
列車は当然のことのように、Bの方向に走って行った。
これは困ったと憤慨した一人の女性が、
改札のところに、訳を尋ねに行った。
戻ってきた女性が、「まちがいだった」ことをもう一人に告げた。
「『いや、まちがいでした』と言って、笑うだけだったよ」
駅員の様子を、そのように伝えていた。
なんと職業意識のないJRの駅員であろう。
まだ殿様商売をしているつもりなのだろうか。
国鉄時代には、そういう話はあったかもしれない。
だが、いったい民営化して、何年経つというのか。
最低限、誤りを謝ることくらいは、できないものか。
謝ると、責任問題にでもなるというのか。
客を、なんだと思っているのだろう。
間違いは、誰にでもある。
だが、「すみません」の一言の必要であることを
教育していないのだろうか。
できたのは、謝りを誤ることであった。
そう。
尼崎での事故から、五年が過ぎたが、
JRとはどういう精神で動いているのか、
あの事故は、起こるべくして起きたのだ。
そして、起きてもなお、
この調子で何も変わろうとしていないらしい。
また、起こらなければいい、と祈るばかりだ。