このカレンダーに従う母の日は、
アメリカにおいて百年の歴史をもつ行事である。
同じキリスト教信仰をベースにしたヨーロッパの国でも、
別の母の日があるという国がある。
とりあえずアメリカでは、教会を舞台にこの習慣が始まった。
 
カーネーションで一儲け、というのは聞こえが悪いが、
ここは花屋さんの稼ぎ時にもなってしまった。
いや、百貨店でも商店街でも、
母の日のために、ちと高価なプレゼントを売ろうと躍起になっている。
 
なんでも、ビジネスチャンスとなりうるのだ。
 
小さな子どもたちは、
自身のお金というものを持たない。
肩たたき券をプレゼントするというのは、
微笑ましい試みだが、いったい誰が考えたのだろう。
チケットというものに換えてしまうのも、
なんだか計算高いようで、どうかな、という気がすることもある。
 
特別なことを求めなくてもいい。
ただ顔を見せるだけでも。
声を聞かせるだけでも。
 
そんなに、もう、その機会はないかもしれない。
永遠に生きるような気がしていた母親ではあっても、
その時その時を大切に出会っていかなければならない、と
思っていたほうが、いい。
 
そしてまた、すでに母親が他界している方にあっては、
せめて偲ぶしかないわけであるが、
感謝の思いがきっと及ぶであろうから、
自分がまた、誰かの母になっていることに気づいて、
感謝されるに値することを心がけるという徳があるだろう。
男であっても、母のように生み出し守る働きがあってもよいのだから。
 
商品とは交換できない何かを、
この日に見出すことができたら、と願う。