讀賣新聞のサイトに、
「発言小町」というコーナーがある。
生活の中で起こったこと、あるいは
自分がしたことについて意外な反応への疑問、また
自分はこう思うが皆さんはどう思うか、などといったトピックを
誰かが立てた上で、
読者がそれへの意見を連ねていくのだ。
システムは分かる。
ネットの世界でたくさんの人が
意見や知恵を集めている様子もよく分かる。
感じるのは、読者がえてして健全な考えをもっているということだ。
話題を提供した人にとっては深刻な事態でも、
読者には傍観的なもので、ただ見過ごしても差し支えないのが実情である。
だのに、口を挟むというのだから、
もっといい加減な対応であったも構わないように思われるのに、
実に親身になり、意見やアドバイスを返してくれるのだ。
だが、私は時々これを見に行って、思うことがある。
このトピ主(話題を立てる人、いわば相談者)の中には、
わざとふざけてこんな変なことを言い始めたのではないか、と。
もしくは、これは読者の反応を豊かにするための
讀賣サイトのヤラセではないか、と。
およそこんな考え方をする人が存在するのか、と思ってしまうような
奇妙すぎるトピ主の考えを、時折見るからである。
具体例を挙げるのは控える。
もしそのコーナーをご存じない方がいらしたら、
実際にお訪ねになってみるのが一番いい。
たしかに、まともな人生相談のようなものもある。
事実は小説より奇なりということで
ドラマチックな出来事にはらはらすることもあるが、
そのこと自体を本当かしらと疑う気持ちにはあまりならないものだ。
それよりも、
これが人間の考えることか、と
あまりに人の気持ちを察せぬ冷酷な自己愛者が、人を傷つけ放題であったり、
意見を受ければ受けるほど
自分は正しいと連呼するようなありさまを見たりすると、
人間ってこうなのか、とありえないような思いに苛まれることがあるのだ。
ああ、そうか。
私がそういう非情な人間なんだ。
私みたいな者がいるのだから、
かのトピ主のような人も世の中にいてもおかしくはない。
私だって、世の多くの人から見れば、
これ以上に非常識で冷淡で自己中心的で高慢なのだ。
そんなふうに、私は理解することにした。
その意味では、
こうしたトピ主が単なるヤラセであってほしい、とさえ思う。
「発言小町」というコーナーがある。
生活の中で起こったこと、あるいは
自分がしたことについて意外な反応への疑問、また
自分はこう思うが皆さんはどう思うか、などといったトピックを
誰かが立てた上で、
読者がそれへの意見を連ねていくのだ。
システムは分かる。
ネットの世界でたくさんの人が
意見や知恵を集めている様子もよく分かる。
感じるのは、読者がえてして健全な考えをもっているということだ。
話題を提供した人にとっては深刻な事態でも、
読者には傍観的なもので、ただ見過ごしても差し支えないのが実情である。
だのに、口を挟むというのだから、
もっといい加減な対応であったも構わないように思われるのに、
実に親身になり、意見やアドバイスを返してくれるのだ。
だが、私は時々これを見に行って、思うことがある。
このトピ主(話題を立てる人、いわば相談者)の中には、
わざとふざけてこんな変なことを言い始めたのではないか、と。
もしくは、これは読者の反応を豊かにするための
讀賣サイトのヤラセではないか、と。
およそこんな考え方をする人が存在するのか、と思ってしまうような
奇妙すぎるトピ主の考えを、時折見るからである。
具体例を挙げるのは控える。
もしそのコーナーをご存じない方がいらしたら、
実際にお訪ねになってみるのが一番いい。
たしかに、まともな人生相談のようなものもある。
事実は小説より奇なりということで
ドラマチックな出来事にはらはらすることもあるが、
そのこと自体を本当かしらと疑う気持ちにはあまりならないものだ。
それよりも、
これが人間の考えることか、と
あまりに人の気持ちを察せぬ冷酷な自己愛者が、人を傷つけ放題であったり、
意見を受ければ受けるほど
自分は正しいと連呼するようなありさまを見たりすると、
人間ってこうなのか、とありえないような思いに苛まれることがあるのだ。
ああ、そうか。
私がそういう非情な人間なんだ。
私みたいな者がいるのだから、
かのトピ主のような人も世の中にいてもおかしくはない。
私だって、世の多くの人から見れば、
これ以上に非常識で冷淡で自己中心的で高慢なのだ。
そんなふうに、私は理解することにした。
その意味では、
こうしたトピ主が単なるヤラセであってほしい、とさえ思う。