鹿児島県阿久根市が、
まあ言葉は悪いが、醜態を晒している。
市長に賛成するにしろ反対するにしろ、
地元の人もそれは事実だと感じざるをえないだろう。
 
政治的な判断は難しい。
たんに、障碍者を蹴散らした、というだけで
事を判断することはできない可能性がある。
 
表面上だけで事は論議できない。
それは、竹原市長の言うとおりである。
だが、内実は表面に滲み出てくる。
これも、多くの人の経験上の真実である。
 
もちろん、と言っても差し支えないだろうが、
私は基本的に、この市長の考え方は
常軌を逸していると判断する側に立っている。
 
それでも、この市長に加担する地元民が少なからずいるのは、
地元の経済が崩壊寸前だからだ。
店が開いていても客は誰も来ない。
そんな中で、公務員にはコンスタントに給料が出る。
景気の良いときには全く目立たないその給与が、
今地元民から見れば贅沢極まりないものと目に映るのだ。
 
市長は、そこを突いた。
この公務員たちを敵に回すことで、
地元民の支持──つまり選挙票──を確保したのだ。
 
ただ、何が何でも独裁をしたいという強硬な姿勢は
軍政の時代には普通だったかもしれないが、
この時代には当然のことのように批判を受けなければならなかった。
 
だが、こうして集中砲火を受けると
まるで自分を被害者のように見せかける市長の術中にはまるかもしれないので
私もあまり市長をいじめていると受け取られるようなことは言いたくない。
 
今回は、市長の次の発言を指摘しておくにとどめよう。
これは複数の報道機関から聞こえてきたので虚偽ではないだろう。
「裁判所は神ではない」
と言ったそうだ。
 
これは当たり前のことであるし、
それを言うと、すべて言論というものは消えてしまうではないか。
クリスチャンも、これが言えて
これが理屈としてまかり通るなら、
どんなに気楽なことだろう。
 
そしてそれにも増して怖いことは、
この言葉の続きに、次の心理が言われずして語られている点である。
「だから私が神である」
 
裁判所は神ではないから正しいとは限らない。
だから私の主張が正しい、と言うのなら、
これが隠れていることになるのは明白である。
 
この地元の人々の生活が、
いくらかでも上向きになればいいと願う。
経済的に苦しいと、誤った選択をしてきたのが人間の歴史である。
なんとか改善されればいいと思うし、
改善できる人が首長として立つことを願う。
 
どうぞリコールしろよ、と挑発する
この市長ではない、別のリーダーが現れれば
この騒動は落ち着くのではないかと期待するのだが。