バンクーバーオリンピックが閉幕した。
事故や不手際など大会主催側の問題が目立つ印象があった。
日本国内では、無粋な都知事の発言が不愉快だった。
なかなか力を出し切れない選手だったかもしれないが、
世界は広く、強い者が大勢いることを目の当たりにした。
井の中の蛙大海を知らず、ということでその無粋な発言も一蹴しておこう。
それほど金が欲しいなら、
隣国のように選手をふだんから支えておけばよかったのだ。
 
今回に限らず、オリンピックでは最近、
地元の先住民や少数民族の文化を表に出す傾向がある。
それはそれで結構なことだ。
全世界に対して知名度が上がることは、悪いことではない。
虐げられてきた歴史に思いを馳せ、
少数者を大切にすることを世界中で学んでいきたい。
 
だがまた、それが建前でありお飾りである危険も認識したい。
先日、盲者であり聾者である教授がテレビに出演していた。
かつて私のその人の本を読んだことがあり、
その生い立ちについては一通り知っていた。
大学入学当初、その珍しさがマスコミに取り上げられ、称えられたという。
だが、このテレビ番組の中で、この人はこんな意味のことを言った。
「だけど、下宿は見つからなかった」
 
表向きは、立派ですね、障碍を乗り越えて頑張ってください、と人は言うが、
実際に住まう所を提供してはくれなかった、というのである。
一般的には褒めたたえるけれども、
自分は関わりたくない、ということであろうか。
 
オリンピックで、少数民族や、
排他的に扱われ虐げられていた文化が脚光を浴びる。
だが、実際に彼らの生活や立場が守られているのか、守られていくのか、
問題はそこにある。
せめて、こうして世界に知られたことで、
知った側としての私たちが、
これからも関心を寄せ続けていくことが必要なのではないか。
 
たんに、物珍しさから、
「へぇ、そんな人がいるんだ」で終わるのではなく。
 
アスリートたちをも私たちは、
オリンピック期間中だけでなく、
常日頃から応援し、その練習や活動を
資金的にも支援していかなければならない。
不満をもつ為政者は、
地元に誘致するためには何百億と失っても涼しい顔をするけれども、
選手に要求するものとしては、
自ら「カネ」を出すこともなく「キン」が欲しいだけなのだ。