能力のない役人はどんどん辞めさせたり、
給料を下げたりすればいい。
いったい政府は、何をしているんだ。
国会の内部でも聞かれる、
このような正論。
いやあ、確かにその通りだ。
無能な公務員に
どれほど無駄な税金が宛われているか、計り知れない。
その原則は、正しい。
で、それを今から適用しよう。
「能力のない役人」とは、誰なのか。
何を基準に、「能力のない」と判定するのか。
また、それを誰が、判定するのか。
良心の故に君が代を歌わない教諭が、
校長の判断で、「能力がない」と判定されている。
教育委員会の判断で、「能力がない」と判定されている。
こういう基準で、
人が「能力がない」と判定されていく。
鹿児島の阿久根市長が、
いわば自分の気に入らない職員を降格処分とし、
給与を停止するまでもしている。
これも、表向きは
「能力のない」職員をそうしただけのことなのだ。
そこで、能力のない役人を辞めさせよ、と
総理大臣に向かって叫び続ける議員に向けて、
「あなたこそ能力がないのだ」と国民が突きつけたら、
当人はどう思うだろうか。
おそらく、「自分は能力がある」と思っているからこそ、
あのようなことが言えたのではないだろうか。
昨年の夏の総選挙で、
自民党議員はどんどん落選した。
いわば「能力がない」と国民に判定されたのである。
今質問した議員は、その点でも、
「能力がある」のかもしれない。
だがそれでは、落選した議員たちが無能であるのか。
当選した議員にしても、
地方で落選しておきながら比例代表との併用云々で
計算ずくで当選している人もいるわけだ。
それもまた「能力がない」と言えないだろうか。
能力がないのに、仕事が与えられている。
その思いから、誠実に努力していくタイプの人もいる。
自分には能力も価値もない。
だから、この仕事に心をこめて取り組んでいきたい。
実のところ、そういう考え方をしている人は多いのだ。
救われる価値のないような者のところに
イエスが来てくださり、救ってくださった、
その思いだけが、クリスチャンを支えている。
こういう生き方も、あるのだ。
「能力のない者は切れ」という正論を吐く人が、
ファリサイ派とはこういうものか、という顔に見えたのは
偶々ではないのだと思っている。
給料を下げたりすればいい。
いったい政府は、何をしているんだ。
国会の内部でも聞かれる、
このような正論。
いやあ、確かにその通りだ。
無能な公務員に
どれほど無駄な税金が宛われているか、計り知れない。
その原則は、正しい。
で、それを今から適用しよう。
「能力のない役人」とは、誰なのか。
何を基準に、「能力のない」と判定するのか。
また、それを誰が、判定するのか。
良心の故に君が代を歌わない教諭が、
校長の判断で、「能力がない」と判定されている。
教育委員会の判断で、「能力がない」と判定されている。
こういう基準で、
人が「能力がない」と判定されていく。
鹿児島の阿久根市長が、
いわば自分の気に入らない職員を降格処分とし、
給与を停止するまでもしている。
これも、表向きは
「能力のない」職員をそうしただけのことなのだ。
そこで、能力のない役人を辞めさせよ、と
総理大臣に向かって叫び続ける議員に向けて、
「あなたこそ能力がないのだ」と国民が突きつけたら、
当人はどう思うだろうか。
おそらく、「自分は能力がある」と思っているからこそ、
あのようなことが言えたのではないだろうか。
昨年の夏の総選挙で、
自民党議員はどんどん落選した。
いわば「能力がない」と国民に判定されたのである。
今質問した議員は、その点でも、
「能力がある」のかもしれない。
だがそれでは、落選した議員たちが無能であるのか。
当選した議員にしても、
地方で落選しておきながら比例代表との併用云々で
計算ずくで当選している人もいるわけだ。
それもまた「能力がない」と言えないだろうか。
能力がないのに、仕事が与えられている。
その思いから、誠実に努力していくタイプの人もいる。
自分には能力も価値もない。
だから、この仕事に心をこめて取り組んでいきたい。
実のところ、そういう考え方をしている人は多いのだ。
救われる価値のないような者のところに
イエスが来てくださり、救ってくださった、
その思いだけが、クリスチャンを支えている。
こういう生き方も、あるのだ。
「能力のない者は切れ」という正論を吐く人が、
ファリサイ派とはこういうものか、という顔に見えたのは
偶々ではないのだと思っている。