台湾で、「タバコ煙害防止法」の新たな施行が
先月11日より始まっている。
町中の禁煙範囲が確定し、罰金も発生する。
タバコも値上がりし、
増収分は健康事業のために用いられる。
ただし、路上において、
あるいはいわゆる外にあるバス停、バス待合所は喫煙可とされた。
この経緯が、西日本新聞の2月1日付けの
台湾の記者によるレポートで明らかにされている。
台湾では、歩きタバコ禁止令が歓迎されていないという。
喫煙者の反発を招くというのだ。
国会でも煙がもうもうとしているお国柄によるものでもあるようだ。
こうした事態について、記者は、
自ら「中立の立場」だと宣言した上で、
ポイ捨てをやめさせるために歩きたばこまで禁止するのはやり過ぎだと断ずる。
そのための例として、空き缶を捨てるのは悪いだろうが
歩きながらの飲食を法律で禁じることができるのか、と挙げている。
それは自由の侵害であるとし、
人権的立場からは、
発生しそうな行為ではなく既に発生した不当行為を処罰することが
法律の基本的概念であるから、
戒厳令のように犯罪の可能性が少しでもあれば禁止や処罰をすることになる。
喫煙者の人権を主張するこうした論理は、
喫煙者の一矢だと評価している記事であった。
さて、例として空き缶のことが挙げられているが、
たばこは明らかにそれとは違う。
歩きながらの飲食は特にだれそれに害を与える危険性はないが、
歩きながらのたばこは、直接間接に害を与えることが明白である。
この記者も、記事の前半で「危害を与える恐れ」にも触れている。
だのに、空き缶と同類だというのだ。
これは誤った比喩である。
意図的な比喩である。
残念ながら、「中立の立場」とは言えない。
また、法律は発生した不当行為を処罰するためにあるとしているが、
だとすれば、
銃刀法違反も覚醒剤違反も問われないことになろう。
たばこは、まさにそういう危険性のあるものとして認識されている、
それが昨今の世界の共通認識であるのだが、
この記者からはそれが抜けている。
だが、こうした捉え方は、
つい四半世紀前の日本では当然のことだった。
フォーク並びを世に浸透させた
久米宏司会の画期的なニュース番組でさえ、
歩きたばこを問題視することはついにできなかった。
歩行喫煙は、ようやく最近になって初めて
いけないものだという意見が市民権を得てきたのだ。
台湾のこの誤った論理を嗤うことはできない。
いや、台湾では、
たばこに対してはっきりとした罰則を設けているというのだから、
日本よりは進んでいるとさえ言えるだろう。
台湾にしてみれば、この記者によると、
日本に倣った、というのだが、
むしろ立派な措置ではないか、とも思われる。
日本でも、警察署内など、紫煙もうもうの場所があるし、
裁判所へ勤務する道には手に手にタバコの火があった。
少なくとも何年か前に、私はそれをまざまざと見ている。
今は、少しは改善されたのだろうか。
歩きながらタバコを吸う人がいくら
「私は人のことをちゃんと考えて仕事をしています」と言っても
何の説得力もないことが、
吸う当人に分かればいいのだが、と願っている。