回天・桜花を携帯ストラップのデザインに利用したものが
自衛隊基地の売店を中心に売られていたという。
一部の人がこれを知り、不謹慎だと批判したところ、
ネットでもその批判に賛同する人が多く現れた。
批判が大きかったので、という理由で、メーカーは自主回収したという。
回天はいわば人間魚雷、桜花は人間爆弾。
第二次大戦末期に日本軍が窮地に追い込まれて実行した作戦である。
これを可愛いマスコットにしたというのだが、
報道には、何がどう不謹慎であるのか、理由の説明はなかった。
周知のことであろう、という意味であろうか。
一神教は自爆テロなどをやり戦闘的だ、と非難する人の中には、
戦前戦中の方角に理想を見出す人もいる。
天に唾するような非難ではないかと私は考えるが、
今回そのようにとやかくイデオロギーについて言おうとするのではない。
とにかく、こういうふうに命を浪費させるような
そんな時代の空気を作ることには、確かに警戒すべきであろう。
そもそもそういうストラップを作るという神経が理解できない。
まだその直接の遺族もいるような世の中で、
よくぞそんなものをマスコットにできたものだ、と。
そこで、改めて思うのだ。
十字架とは何か、と。
それは死刑台である。
それも、世にも残虐な死刑の一つである。
クリスチャンは、これを救いの証拠としている。
教会の建物にはこれを掲げている。
ペンダントにあしらうのも普通のことだ。
回天・桜花どころのものではあるまい。
残酷な死刑台を、クリスチャンは手放すことがないのである。
このところの焦点を当てて、
福音というものを説くこともできるだろう。
死んで生きることの本質がそこにある。
十字架こそが、神の義と愛を示している。
クリスチャンの眼差しは、
常にその死刑台に向けられている。
このことを、決してロマンチックになど捉えてはならない。
それは可愛らしいステキなものなのではない。
最もおぞましい、惨たらしい場なのである。
だからこそまた、
そこに、栄光があるのだ。
自衛隊基地の売店を中心に売られていたという。
一部の人がこれを知り、不謹慎だと批判したところ、
ネットでもその批判に賛同する人が多く現れた。
批判が大きかったので、という理由で、メーカーは自主回収したという。
回天はいわば人間魚雷、桜花は人間爆弾。
第二次大戦末期に日本軍が窮地に追い込まれて実行した作戦である。
これを可愛いマスコットにしたというのだが、
報道には、何がどう不謹慎であるのか、理由の説明はなかった。
周知のことであろう、という意味であろうか。
一神教は自爆テロなどをやり戦闘的だ、と非難する人の中には、
戦前戦中の方角に理想を見出す人もいる。
天に唾するような非難ではないかと私は考えるが、
今回そのようにとやかくイデオロギーについて言おうとするのではない。
とにかく、こういうふうに命を浪費させるような
そんな時代の空気を作ることには、確かに警戒すべきであろう。
そもそもそういうストラップを作るという神経が理解できない。
まだその直接の遺族もいるような世の中で、
よくぞそんなものをマスコットにできたものだ、と。
そこで、改めて思うのだ。
十字架とは何か、と。
それは死刑台である。
それも、世にも残虐な死刑の一つである。
クリスチャンは、これを救いの証拠としている。
教会の建物にはこれを掲げている。
ペンダントにあしらうのも普通のことだ。
回天・桜花どころのものではあるまい。
残酷な死刑台を、クリスチャンは手放すことがないのである。
このところの焦点を当てて、
福音というものを説くこともできるだろう。
死んで生きることの本質がそこにある。
十字架こそが、神の義と愛を示している。
クリスチャンの眼差しは、
常にその死刑台に向けられている。
このことを、決してロマンチックになど捉えてはならない。
それは可愛らしいステキなものなのではない。
最もおぞましい、惨たらしい場なのである。
だからこそまた、
そこに、栄光があるのだ。