土浦市で去年の三月、
殺傷事件を起こした犯人に
先週死刑判決が下った。
本人が、
死刑になりたくて人を殺したのだというのだから、
本当にその通りだとすると、
本人の意のままになったことになる。
死刑が犯罪の抑止にならない例になるのだろうか。
死刑をなくすのは、被害者感情に反するとも言われるが、
死刑という最高の責めが
望み通りのことであるというのは、パラドクスのようだ。
それは、あの大阪教育大付属池田小学校での
児童殺傷事件と共通する何かをもっていると言えるだろう。
ところで、
竹原阿久根市長が、福岡市で公演したという報道。
「言葉狩りをする」とマスコミを非難した上で、
「社会は木を育てるようにしないといけない。
木の枝の先くされば切り落とす。そうしないといけない。
全体として活力ある状態に」と
これまでになくまた強い口調で自説を展開したらしい。
なるほど。
すると、この竹原さん自身が腐っていると見なされたら、
切り落としていいわけだ。
この人は、自分は切り落とされるような存在ではない、と
自信をお持ちらしいが、実際は違う。
自分が正しいと言い
弱い人を殺すことを正義のように考えている点で、
私は初めの事件の中に流れるものと、同じものを感じた。
いや、それは失礼だ。
あの犯人たちは、自分が死刑に値することをしているという自覚があった。
この市長には、それがない。
同じにするのは、こうした不条理な事件の被害者やそのご家族に対しても、
ひどい失礼になるかもしれない。
竹原市長の信念である「正義」とやらで殺されるというのは、
ひどい失礼にあたるだろう。
この市長の説は、ある角度からだけ見たら正義であるのだろうが、
ある角度からだけ見たときに過ぎないのだ。
殺傷事件を起こした犯人に
先週死刑判決が下った。
本人が、
死刑になりたくて人を殺したのだというのだから、
本当にその通りだとすると、
本人の意のままになったことになる。
死刑が犯罪の抑止にならない例になるのだろうか。
死刑をなくすのは、被害者感情に反するとも言われるが、
死刑という最高の責めが
望み通りのことであるというのは、パラドクスのようだ。
それは、あの大阪教育大付属池田小学校での
児童殺傷事件と共通する何かをもっていると言えるだろう。
ところで、
竹原阿久根市長が、福岡市で公演したという報道。
「言葉狩りをする」とマスコミを非難した上で、
「社会は木を育てるようにしないといけない。
木の枝の先くされば切り落とす。そうしないといけない。
全体として活力ある状態に」と
これまでになくまた強い口調で自説を展開したらしい。
なるほど。
すると、この竹原さん自身が腐っていると見なされたら、
切り落としていいわけだ。
この人は、自分は切り落とされるような存在ではない、と
自信をお持ちらしいが、実際は違う。
自分が正しいと言い
弱い人を殺すことを正義のように考えている点で、
私は初めの事件の中に流れるものと、同じものを感じた。
いや、それは失礼だ。
あの犯人たちは、自分が死刑に値することをしているという自覚があった。
この市長には、それがない。
同じにするのは、こうした不条理な事件の被害者やそのご家族に対しても、
ひどい失礼になるかもしれない。
竹原市長の信念である「正義」とやらで殺されるというのは、
ひどい失礼にあたるだろう。
この市長の説は、ある角度からだけ見たら正義であるのだろうが、
ある角度からだけ見たときに過ぎないのだ。