他人事のようであり、また自分のことのようでもある。
何かひとさまを悪く言うばかりの人間のようにも見えるかもしれないが、
他人を指させば折り曲げた三本の指は自分を指すというように、
他人に向けて放った言葉は、必ず自分に向けて戻ってくる。
自分を刺す言葉となる。
 
だから、これは私もそうだという前提で書いている。
 
私たちは、何か勘違いしていないだろうか。
この平和な時代、と敢えて言わせてもらう。
何か、当然だと思いすぎていないだろうか。
命がこんなに重く扱われる時代が、あっただろうか。
いや、現代も軽く扱われているというのは、確かである。
しかし、人権などという概念自体、昔はなかったのではないか。
 
誰もが、自分はまず護られる存在だと思っていやしないか。
自分こそ、まず優遇されるべき存在だと思い込んではいないか。
 
自分が悪いとでも指摘されれば、すぐに言う。
「だって他にも悪いことしている奴がいるじゃないか。
 なんでオレにばかり言うのだ?」
 
義務を果たせと言われれば、
「オレひとりくらい、大したことないじゃないか。
 それより、オレの気持ちを分かってくれないのはどうしてなんだ」
 
大したことない、などと言うのは方便もいいところだ。
自分のことが一番大きい問題であるに違いないのだから。
 
だって人間、自分が一番可愛いに違いないじゃないか。
それともお前は違うとでも言うのか?
オレはそんな聖人君子じゃないね。
 
どこまでも、自分こそ正しいという前提で逃げまくる。
 
おそれもおののきもなくなってしまった。
その意味で、神は死んだ。
不思議だが、おそれやおののきがあった時代に、
人の命は粗末に扱われていた。
現代はもっと繊細な眼差しをもてるようになっている。
 
それなのに、やはり不思議なのだ。