小沢一郎氏には小沢氏の信念というのがあるのだから、
それをもつこと自体は悪くないのだ。
だが、あなたに投票したクリスチャンたちも数多くいるということにも気づかず、
選ばれた代表者であるという公人としての立場を鑑みると、
あまりにも子どもじみたわがままだと見られているわけで、
狭い、排他的な了見の自分を見つめたらどうだろう、という気がする。
 
日本キリスト教連合会なるところが、抗議文を送っている。
その内容文は知らないが、小沢氏の見識を疑うというような表現があったらしい。
一面的な理解による排他的で独善的な発言だとし、「この程度の認識」と呆れている。
まあ、実際その通りだ。
 
小沢氏は、自分の「宗教哲学」と「人生観」を述べたらしい。
哲学にしては、哲学的な思考をしていないようだが、
人生観は確かに自由であろう。
本人が、自分は寛容で仏になれると信じていることについて、
とやかく外野が言うべきではないだろう。
その意味で、彼の「自由」を私は守る。チョムスキーだと言われようと。
 
ただ、他山の石というふうに見ると、
聖書にある罪というのがどのように恐ろしいものか、
小沢氏を見ているとよく分かる。
聖書をお読みになると、自分の姿がそこにあるということに、
お気づきになるかもしれない。
むしろ、そうなればいいと私は思う。
 
もう一つ付け加えるならば、
小沢氏に擁護された高野山金剛峯寺や仏教界の方々が、
小沢氏を早く窘められたらよいのではないか、と考える。
小沢氏は、明らかに仏教について誤った宣伝をしている。
仏教界について、マイナスイメージを広げている。
政治権力者に対しては逆らえないとお考えかもしれないが、
死んだら神になれるなどと、神道まがいの誤りまでぶちまけている以上、
黙っていることもできないのではないだろうか。
きっとこの事態は仏教界にとっても益にはならないと
頭を痛めていらっしゃることだろう。
 
何かしら権力の座についたときに、
思慮の足りない自分の主張を
独善的に攻撃的に使うやんちゃ坊主は、どこの世界にもいる。
今、小沢という人間がどういう薄っぺらな人間か、明らかになったわけである。
ただ問題は、そのでまかせを真実だと洗脳されている人々がいるということだ。
第二次世界大戦は、そのようにして始まったのである。