先週末ごろ世間に知れ渡った、大阪府知事のメールに関する処分。
どうふう方向に行くものかと関心があったが、
テレビ出演者は、
橋下知事の言うことが尤もだ、という空気一辺倒だった。
若干苦言を呈した人もいたが、
部下の方が非常識だ、という声が多かった。
 
おそらく橋下知事の人気に逆らうと
自分の立場が危うい、という思いがあったのだろう。
だがそれこそ、言論統制の影響を受けているわけで、
これはテレビの見せる意見が危険だという一つの実例になるだろうと感じた。
 
この部下には、確かに「非常識」な部分があると言えよう。
その点でこの知事が「正しい」ことを否定するつもりはない。
だが、なぜそういう「非常識」な応対をしたのか。
それは、その前提に「非常識」なものがあったからではないのか。
この知事が、自分の愚痴を一斉メールで均一に公務員に突きつけたのは、
「常識」に適うことだったのか。
また、これまでの数々の言明の中で、この知事の発言に
「非常識」とされて然るべき部分があったであろうことは、
報道の例を挙げるまでもない。
 
この若い知事は、
破綻寸前でもがいている大阪府で、
たしかに子どものような純粋な気持ちで
なんとかしようと大胆なことをやろうとしている。
それまでの官僚主義とは全く無関係に
思い切ったことをやろうとしている。
それが適切であるのかどうか分からないが、
なんとかしたいという若い情熱に、府民は期待したと思うし、
いくらかでも財政改善を頑張っていることを、誰も否定しはしないだろう。
 
だがそれで、
  自分は府民が選んだから何をしてもよい、
  自分は非常識なことをしても許されるが、
  それに刃向かうことは非常識だ、
そんなふうに豪語し権力を使う必要はない。
 
選挙で選ばれたとき、
自分に投票しなかった人のための大統領でもある、と
オバマ氏は去年演説した。
だが、この若い知事は、
自分は選挙で選ばれたのだから何をしてもよい、
自分に皆従わなければならない、と考えている。
 
余裕がないのだろう。
この若さで懐の広さを求めても、仕方ないのだろう。
相手の言い分を包み込むような解決があるという道を
ご存じないのだろう。
 
せっかく、意見があればどうぞとオープンにしておいて、
意見を言うと、権力を用いて処分という手段に出るのは、
残念ながらただの詐欺である。
これでは信頼を得られないし、危険視されることにもなる。
 
何よりも、自分が許されているということを忘れて、
他人を許すことができない、度量の狭い困りものだとさえ見られることがある。
 
マタイ18章に、こういう話がある。
一万タラント借りのある男が哀願し、王にその返済を帳消しにされた。
その帰りに、その男は、自分が百タラント貸した男に返済を迫った。
そして返せないと分かると、相手を牢獄に入れた。
王は悲しみ、その男を獄吏に引き渡すしかなかった。
 
かの知事は、やんちゃ坊主でもあるから、
大人はどこかで、窘めることもしなければならない。
大阪では、こういうやんちゃをはやしたてる空気がある。
これまでの知事の中にもそういう点はあるし、
ボクサーでもそういうのが愛される。
庶民からすれば、ちょっと小気味よいのであろうか。
そう、大いに盛り上がり活気をつけることで意味がある。
 
だが、それがすべてではないだろう。
テレビで意見を言う人々が、
右へ倣えで権力をヨイショしていく様子が、
私には怖かった。
テレビとか世論とかいうものは、
大本営時代と、さして違わない性質を有したままなのだ。