「 得」とは、何かを得ることと重なる。
もちろん、良いものを得るのだろう。
では、良いとは何か、話はそちらへ向かう。
自分にとって良いものは何か。
これがまた、千差万別、そこに価値がある、ということになるだろうか。
だから、えてして快楽的な価値に関心が集まることだろう。
さしあたり、目の前の利益が重大事となるのだ。
問題は、遠近の差がある場合、近いほうを求める傾向があるということだ。
明日の利益よりは、今日の利益。
まさに朝三暮四とはよく言ったもので、
私たちは朝四個もらえると言われて喜ぶ猿と同じなのである。
日本人は、「得」と同じ読みを「徳」にもあてた。
つまり、元々「とく」という言葉の概念には、
「得」と「徳」とどちらにも適用できる内容が含まれていたのだ。
私たちは、「徳」を得だと、もはや感じないような世相にある。
「徳」が益に対立するようにすら覚えるものだから、
私たちの「得」は、元来の「とく」からどんどん離れていっている。
もちろん、良いものを得るのだろう。
では、良いとは何か、話はそちらへ向かう。
自分にとって良いものは何か。
これがまた、千差万別、そこに価値がある、ということになるだろうか。
だから、えてして快楽的な価値に関心が集まることだろう。
さしあたり、目の前の利益が重大事となるのだ。
問題は、遠近の差がある場合、近いほうを求める傾向があるということだ。
明日の利益よりは、今日の利益。
まさに朝三暮四とはよく言ったもので、
私たちは朝四個もらえると言われて喜ぶ猿と同じなのである。
日本人は、「得」と同じ読みを「徳」にもあてた。
つまり、元々「とく」という言葉の概念には、
「得」と「徳」とどちらにも適用できる内容が含まれていたのだ。
私たちは、「徳」を得だと、もはや感じないような世相にある。
「徳」が益に対立するようにすら覚えるものだから、
私たちの「得」は、元来の「とく」からどんどん離れていっている。