自分の選んできた道は、
間違ってなどいなかった。
 
巷に流れる若いアーチストの歌詞の中に、
そんな歌詞が、この十年、目立つような気がする。
自分を信じる、というフレーズも同様に多い。
 
自分は間違っていない。
そう自分で認めたいという時もあれば、
そう誰かに認めてほしいという時もある。
なんだか、一定の権威を求めているようにも聞こえる。
 
おまえは間違っている。
そういう指摘を、先に避けているようでもある。
そう。子どもたちに近年よく見られるのは、
自分が間違っているという態度をとらなくなったことだ。
教師が熱心になれば、
注意をした教師が逆に怪しからんという騒ぎになっていくこともある。
 
ありのままでいいんだよ。
そのままでかまわないんだ。
おまえはオンリーワンなのだからね。
そのままで、頑張れば思うとおりになれるのだ。
おまえには無限の可能性があるのだよ。
 
そう洗脳されてきた子どもたち。
いや、それがもう20とか30とかいう年齢になっている。
その歪みが時に事件を起こして現れるが、
そういう氷山の一角の問題ではすでになくなっている。
底辺まで、どっぷりと甘い汁に浸ってふやけている。
 
記録を達成したイチロー選手。おめでとう。
だが、アメリカでさして目立っているわけではないようだ。
日本でローズ選手がホームランを打ちまくっても
日本人が醒めた目で見ていたのと同様であろう。
 
そのイチロー選手は、このたびの記録達成時、
オンリーワンなどでありたくない、と本音を言い放った。
それだけのことをやった人物だから、その言葉が吐けるのだとも言えるが、
結構ここでは深い追求ができるような気がする。
彼はきっと、
「おまえは間違っていない」と自らを励ましていたはずなのだけれど、
「おまえは間違っている」と誰よりも指摘され続けていたはずなのである。
それは、自分自身でも、自分にそう言ってきたのではないかと推測できる。
彼の精神力は、その点で鍛えられていないはずがないのである。
 
教会が「罪」の話をすることにより、
人が去っていくとすれば、
これほど危険なこともない。
「おまえは間違っている」と教会は告げ続けなければならないのだ。
だが、それと同時に、
「そのままでよい」と呼びかけているのも事実である。
この、論理的な矛盾が調和していくところが、
奇蹟ないし神秘であるのかもしれないけれども。